八日目の蝉

八日目の蝉 (中公文庫)

生きることの切なさがつまった物語

優しい印象のタイトルや見た目(単行本カバー)とは裏腹に、この作品は“切ない”物語である。

もっと正確に言うと、心が“痛い”物語だと、そう思いながらひたすらに読んでいた。

そういう作品に出会ったとき、僕はどうしても最後まで一度に通して読み続けることができない。

ほんの数分でも一呼吸おいて、痛みを受け取る覚悟をしたいからだ。

登場人物たちが抱える思いの行き場のなさや、それでも生きていこうと期待する心持ちの不思議さ。

地上に出てきて7日で死んでしまうという蝉が8日目も生きていられたら、そこに何を見るか・・・。

読者一人ひとり自身が生きていくことの意味合いを意識せざるを得ない、読者にコミットを求める物語。

読み終わった後も、少し余韻に浸る時間があるときに読んでもらいたい。

 

絶望とつかの間の幸せが共存する不思議

第1章の主人公である「希和子」は、自分が生むに生めなかった男性との子供を思う余り、

男性の正妻(希和子は不倫相手)との間に生まれた赤ん坊「薫」を誘拐してしまう。

もともと身寄りのなかった希和子は、「薫」という唯一の存在と1日でも長くいられることを願い、

警察の追っ手を逃れるため西へ西へと逃亡を続けていく。

もう明日はないかもしれない、そんな思いの中でも、たどり着いた瀬戸内の小豆島での暮らしは、

絶望的なはずなのに、本当にキラキラとした、まぶしい生気にあふれたものであった。

また、希和子が逃亡中に出会った団体「エンジェルホーム」も、実はある共通した悩みを抱える集団だった。

共同生活を送る中で、明日はもっと良くなるんじゃないかと願いながら、それぞれが生きる悩みと

向き合い続けているようすが印象に残った。

 

何も解決していなくても前に進む強かさ

第2章では、誘拐された「薫」(=「恵理菜」)が主人公となる。

母として希和子を慕ってきた「薫」だったが、あることをきっかけに、自分の過去に疑問を持つようになる。

突然訪ねてきたエンジェルホーム時代の友人とともに、眩暈のするような心の痛みに耐えながら、

閉ざされてきた過去を紐解くことで、これまで向き合えなかった過去や、

現在進行形の恋愛に対して彼女なりの答えを見つけていく。

その答えというのは、決して最善のものではないし、非常に不恰好なものである。

別にそれで何かが解決されたわけでもないし、また明日からその痛みとともに生きていくしかない。

7日目の次は8日目であると同時に、新たな7日目のはじまりなのである。

それでも8日目を生きていたいか。

 

それでも生きていたい

ラストシーンの「薫」と「希和子」の表情、静かに満ちる肯定の感情を追っていくと、

痛みを引き受けた上でなお8日目を見たい、誰かに見せたいという思いに自然と共感できてしまう。

誰にでも、生きていくことに諦めのようなどうしようもなさを感じることはある。

読者は、これまでに感じてきた自分自身の生きることへの悩み、辛さにもう一度向き合う“痛い”作業を

経ることで、主人公が感じたであろう、8日目を生きていたいという思いをストンと理解することができる。

おそらく作者も、この作品を、身を裂くように“痛み”を共有して書いたのではないかと思う。

「薫」が船の上で昔を思い出していく、ラストシーンは圧巻。

(ちなみに、5月25日放送の「爆笑問題の日曜サンデー」(TBSラジオ系)にゲストとして出演した

角田光代は、この作品(新聞連載)を書くことが楽しくて仕方がなかったという趣旨のことを語っていた。)



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