評決のとき

評決のとき〈上〉 (新潮文庫)A Time to Kill

リーガル・サスペンスの決定版

作者ジョン・グリシャムは、アメリカで当代きっての人気リーガル・サスペンス作家だ。近年の彼の作品は、スケールの大きい劇場型のストーリーが多くなってきたが、処女作である本作は、アメリカの架空都市クラントンの法廷を舞台とした、正統派ロー・ノベルだ。アメリカの法廷で行われる審理をリアルに描いたストーリーは、検察側と弁護側の駆け引きも魅力的だが、加えて、現代における裁判制度の問題点(陪審員制度や精神鑑定)を浮き彫りにしている点でも面白い。

グリシャムの作品は一通り目を通したが、個人的にはこの作品を1番に挙げたい。ちなみに、本作をはじめ、グリシャムの作品は多数映画化されており、映画好きの方はそちらもおすすめ。

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被害者遺族による私刑犯罪

舞台はミシシッピ州の架空の街クラントン。物語は、ある黒人の少女が人種差別主義者の白人男性2人にレイプされるところから始まる。その後、犯人2人は逮捕され、法廷審理がまさに始まろうとするのだが・・・。

被害者の父親カールは、黒人差別の激しいミシシッピ州では納得できる判決など出ないと悲観し、犯人2人を自らの手で銃殺してしまう。裁判所の物陰に隠れ、2人が出廷しようとした瞬間に銃で撃つ一瞬の犯行だった。こうして今度は、カールが第一級殺人と傷害の罪で起訴されることになった。

あなたがこの父親の裁判の陪審員に選ばれたら、どのような判断を下すだろうか。カールの弁護士のジェイクは、街が黒人への反発で揺れる逆境の中で、陪審員に必死に語りかける。

 

sane(正気)かinsane(狂気)か

一番の争点は、娘をレイプされたカールが法的にsane(正気)であったかinsane(狂気)であったかだ。こうした精神鑑定は、東京埼玉連続幼女殺人事件のように、3回の精神鑑定で全く別の結果が出るなど、どこまで行っても神学論争になってしまう側面がある。そもそも、何がsaneで何がinsaneなのか。境界を引こうとすること自体、無理をきたすことは目に見えている。

本件でも喧々諤々の議論が行われるものの、結局、判断は議論を観察した陪審員の心証にかかってくる。アメリカの陪審員は、予断を立つために外部の情報をシャットダウンされた状態で任務にあたるのだが、そうはいえど、陪審員はどうしても先入観や偏見から逃れられない。検察側は、それを重々承知した上で法廷での印象操作を行ってくるわけだ。しかも、街では白人主義組織KKKが跋扈し、ジェイクにも脅迫を行うなど、本来あるべき公平などというものが、現実には画餅に過ぎないことを突き付けてくる。

 

裁判制度の限界と向き合う

saneとinsaneの神学論争、避けがたい人種差別の偏見、迫りくる暴力の圧力。それでも陪審員は正しい判断ができると言えるのだろうか。その結論は実際に読んで判断してほしいが、弁護側・検察側の手練手管や、最後まで揺れに揺れる陪審員の心証には、手に汗握るものがある。日本の裁判員制度や、精神鑑定の問題など、僕らが現実に突き当たっている裁判制度の限界にも考えさせられるところが多い物語だった。



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