動物農場

動物農場: 付「G・オーウェルをめぐって」開高健 (ちくま文庫) Animal Farm

全体主義のコメディ

『動物農場』は、『1984』で著名なジョージ・オーウェルが描いた秀逸な寓話だ。1945年に書かれたこの物語は、ソビエトのファシズムをモチーフに、農場で飼われている動物が社会主義革命を起こし、自由の楽園を目指すものの、指導者の聖域化によって国家が腐敗していくようすをコメディに昇華させている。

コメディとは言え、あくまで全体主義に対する痛烈な批判であって、トロツキーの亡命や、産業五カ年計画、独・ソ不可侵条約、テヘラン会談などの歴史的出来事をユーモラスに描きつつ、当時を髣髴とさせる恐怖政治の生々しさも感じる。こうしたオーウェルの鋭い観察眼は、空気の全体主義が蔓延するこの国にとっても様々な気づきを与えてくれていると思う。

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動物たちの革命

ジョーンズが経営するマナー農場には、豚のメージャー爺さん、ナポレオン、スノーボールや、働き者の馬ボクサー、教えられたことに忠実な羊たちなど、様々な動物たちが暮らしていた。しかし、彼ら動物たちは、自分たちをこき使う人間の横暴に怒っていた。そこでメージャー爺さんの演説に奮起した彼らは人間に対する革命を起こし、動物たちによる動物たちのための農場を誕生させる。

なぜ我々はこの悲惨な状態のままなのか?それは我々の労働の生産物のほとんど全てが人間によって盗まれているからである。同志諸君。これが我々全員にとっての問題の答えだ。一つの言葉に要約できる……人間。人間だけが我々に対する本当の敵なのだ。人間を追い出そう。そうすれば飢えと過酷な労働の根本的な原因は永遠に無くなるのだ。

そうしてジョーンズ(ロシア皇帝)を追い出すことに成功した彼らは、支配されることへの反省を活かし、全動物が平等に生活できるよう「七つの戒律」を立てるのだが、メージャー爺さん(レーニン)亡き後、スノーボール(トロツキー)をクーデターで追い出したナポレオン(スターリン)は、巧みな世論操作とビッグブラザー的恐怖政治を布き、自由の楽園は次第に様相を変えていくことになる。

七つの戒律

一、二本足で歩く者は誰であっても敵である。
二、四本足で歩く者または翼を持つ者は誰であっても仲間である。
三、動物は衣服を着てはならない。
四、動物はベッドで眠ってはならない。
五、動物は酒を飲んではならない。
六、動物は他の動物を殺してはならない。
七、全ての動物は平等である。

 

独裁社会の悲哀

独裁者となったナポレオンが、邪魔者になったスノーボールを追い出すときには、弁の立つ豚のスクィーラーを先頭に立たせ、人々にスノーボールの悪事を吹き込んでいった。本当にそうなのか?と疑問を拭い去れない馬や鶏たちも、そうしないと「ジョーンズが戻ってくる」と言われれば、いつも黙るしかなかった。

そして、スノーボールがいなくなったナポレオンは、だんだんと自分の利益を優先し、動物農場のルールを自分に都合のいいように変えていく。ナポレオンのロジックにかかれば、ミルクやりんごを豚だけが食べるのは頭脳労働をするために仕方のないことになり、先に紹介した「七つの戒律」もいつのまにか「四本足は善い。二本足はもっと善い。」に、「全ての動物は平等である。ただし一部の動物はより平等である。」に変わっていった。

我々がミルクを飲み、りんごを食べるのは君たちのためなのだ。我々がその義務を全うできなかった場合に何が起きると思うかね?ジョーンズが戻ってくる! そう、ジョーンズが戻ってくるのだよ!これは確かなことだ、同志諸君。君たちの中でジョーンズに戻ってきて欲しい者いないだろう?

 

全体主義的な日本

今の平和な日本社会からすると、『動物農場』の物語はどこか遠い国の話のように思える。しかし、個人的には、今の日本にも全体主義的な雰囲気はあると感じている。例えば、自民党が掲げる憲法改正案は「国民の責務」に後半の定義を追加している。

(国民の責務)
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

大げさと思われるかもしれないが、この改正案とナポレオンの「七つの戒律」の変更は全然違う(憲法改正案の方は大丈夫)と言うだけの差異は本当にあるのだろうか。全体主義は、僕たちが無関心でいるところからジワジワ侵食してくるから要注意だ。『動物農場』は、日本人に全体主義に敏感であることを改めて教えている。



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