アラビアの夜の種族

アラビアの夜の種族 (文芸シリーズ)

本の中で語られる本の話

「ピラミッドの戦い」をご存じだろうか。これは、フランス革命で共和政を勝ち取ったフランス帝国が行った大規模な戦争のひとつで、若きナポレオン率いるフランス軍と、ムラード・ベイ率いるオスマン帝国領エジプトが、1798年にエジプトのカイロ近郊で行った戦いのことである。本書はまさに、今から遡ること200年前、ナポレオンに攻め込まれんとしていたエジプトが舞台だ。

誇り高きエジプトのマムルーク(軍人)は、フランス軍に対して武力で対抗する構えだったが、あるベイ(知事)だけは、側近のアドバイスを採用し、必勝の奇策を秘密裏に準備していた。その作戦とは、読者を虜にし、心を奪ってしまう伝説の「厄災の書」をナポレオンに読ませ、はなから戦意を喪失させてしまおうという不思議な策である。ベイは側近に、イスラム語で書かれた「厄災の書」をフランス語訳するように命じるのだが・・・。

noun_98329_cc

夜の種族(Night breeds)

実はこの「厄災の書」、本当はイスラム語版も存在しない。ベイに吹聴した側近は、伝説の語り部を見つけ、その語り部がこれから紡ぐ口話を書きまとめ、「厄災の書」を現実に誕生させようと目論んでいたのである。しかも、この側近はフランス語版は作らず、イスラム語版のみを作ることを計画する。彼は何を企んでいるのだろうか。その理由は読んでからのお楽しみ。

さて、いずれにしても読者を虜にするようないわくつきの書とは、どれほど面白いものなのか。この上なく読者の期待値を高める設定だが、大丈夫。十分に読者をうなづかせるだけの蠱惑的なストーリーを作者、古川日出男は作ってみせた。夜が朝に代わり、朝が夜に代わる。そうして毎夜語られる話を聞くうちに、読み手は皆、眠れぬ「夜の種族」になっていく。

 

主役級が3人

1人目の主人公は、ピラミッドの戦いから一千年を遡った、イスラムのとある王族の血を引く王子アーダム。王位の継承順位が低く、醜い相貌の彼は、幼い頃から邪険にされ、乳母の老魔女が唯一の話相手だった。そんな彼は、隣国ゾハルの征服を買って出た際、秘密の地下施設に生き続ける蛇神と運命の出会いをする。

残る2人は、アーダムから数百年を経た時代に生を受けたサフィアーンとファラー。ゾハルの王族の血を引く少年サフィアーンは、戦乱のどさくさで、出自を知らぬまま盗人の一家に育てられた。それでも生まれ持った才能は隠せないもので、盗人をさせても超一流。一家を率いる大黒柱へと成長していく。

一方、白皙の少年ファラーも、赤子の頃に捨てられ、別の種族に育てられた過去を持つ。種族のリーダーである魔術師を目指し、厳しい修行を積むが、一族の血を引かぬためにファラーの願いは悲しい結末を齎してしまう。

 

3人の心をパラレルに描ききるすごさ

いずれの物語も大絵巻。3人の才能や数奇な運命に、読者は一喜一憂させられること請け合いなのだが、しかし、物語はここからが本番。語り部は時代も場所も離れたこの3つの物語を、なんと1つにつなげていく。呪いの蛇神に導かれた者たちは、ある者は数百年ぶりの悲願を叶えようと、ある者は王族の地位に戻ろうと、ある者は一度は否定された魔術師になれることを証明しようと、地中のダンジョンに乗り込んでいく。

もちろん、ダンジョンを徘徊する魑魅魍魎たちとの戦いや、アーダムとファラーの魔術の頂上決戦など、作者お得意のロールプレイング・ゲーム的面白さも際立っているが、3人の視点が目まぐるしく展開しながら、激しい戦いの末に心のわだかまりに決着をつける様子を、しっかり3人分描ききったことで、物語としても3度おいしいつくりになっているところがすばらしい。



この本についてひとこと