爆笑問題のニッポンの教養 深海に四〇億年前の世界を見た!

爆笑問題のニッポンの教養 深海に四〇億年前の世界を見た! 地球微生物学 (爆笑問題のニッポンの教養 17)

タコツボから引っ張り出せ!

NHK「爆笑問題のニッポンの教養」(爆問学問)は、爆笑問題が大学や研究機関を訪れ、

その分野の第一人者と研究の最前線について議論を交わす番組だ。

書籍版の「ニッポンの教養」シリーズは、その放送を文字に起こし、解説を加筆したものである。

このシリーズは、必ず太田光のまえがきからはじまる。

そのメッセージは、個々の学問分野のタコツボに閉じこもらず、横の連携を深めた広がりに

目を向けることで、「人間とは何か」に対して面白いアプローチができるのではないか。

もちろん、こうした“学際的アプローチ”の必要性は、ずいぶん昔から言われてきたことではある。

しかし、実態はどうか。このシリーズは、そうした問題意識の中で、爆笑問題が様々な議論を

ふっかけて、専門家になかば強引に“学際”的な発想を迫る面白い試みなのだ。

 

生物の定義をはみ出るもの?

さて、本書のゲストは、地球微生物学者の高井研だ。

彼の専門は「生命の起源」で、本書で紹介される海底火山に生息する生物の話は面白い。

彼の研究チームは、2004年に自ら潜ったインド洋中央海嶺で、光も酸素もなく、

摂氏150度の高温、かつ1,000気圧下に住む生命体(ハイパースライム)を発見した。

この微生物は、極限環境においても水素と二酸化炭素で生きることができるため、

酸素がなかった頃の地球でも誕生することができた、生命の起源に近い生物と見られている。

見た目はまさに顕微鏡で見る微生物。しかし、「エネルギーAをエネルギーBに変える」という

生物の定義からすると、この微生物も人間も、根本的には同じとも言える。

そうした時に、人間が酸素を二酸化炭素に変えるような化学運動以外の運動、

例えば思考や感動といったものは、何の意味があるのだろうか。

太田のこの“飛んだ”問題提起をきっかけに、高井 v.s. 太田の激論が始まる。

 

太田: 我々に好奇心というものがあって、先生にはすごくある。いろんなものを研究し、
そういったエネルギーの変化を地球に及ぼす原動力になるわけですよね、
人間の好奇心というのは。

高井: はい、まさしくですね。

太田: ねっ?そうすると、かき回す、その原因になるのは、感動じゃないですか。

高井: あっ、わかりました。僕は科学というものが所詮人間に基づいていると思っているんです。

太田: うん。

高井: 普通の意識の人は、科学は人間の意識から離れた絶対的真理だと思ってるんです。

太田: なるほど。

高井: 違うんです。科学は所詮人間なんです、作り出している人は。
だから科学なんて絶対的だっていうことはないんです。

太田: 後追いだもんね。

高井: そう!だからそれを決定づけているのは結局その人の人間なんです。人間性なんです。

 

他流試合のリングに上げる

議論のギャップは、太田が思考や感動といった“人間性”を科学に持ち込むことに対し、

高井は科学は“人間性”の外にある理論だと考えるところにある。

別にどちらが正しいというわけでもないし、高井の整理も常識的といえば常識的。

しかし、2人が議論していくうちに、一科学から漏れているものや、その漏れと向き合っていくために

従来の常識からの跳躍が求められることなど、様々な気付きがあったのも事実だと思う。

今日、リベラルアーツ系の学部が乱立し、“リベラルアーツ”という新たな分野としてタコツボ化

しているようにも思える学問環境の中で、乱暴ではあるものの、本来のリベラルアーツとは何かを

感じさせる面白さがある。



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