ウィトゲンシュタイン 言語の限界

ウィトゲンシュタイン (現代思想の冒険者たちSelect)

人物としての哲学者ウィトゲンシュタイン

哲学者ルードウィヒ・ウィトゲンシュタインの主著、『論理哲学論考』は難解だが極めて鋭利だ。

この斬新な彼の文章に触れた者は、これを書いたのはどんな人物だろうかと想像を巡らせたくなる。

およそ語られうることは明晰に語られうる。
そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない。

という、有名なこの一説からは、ウィトゲンシュタインが何だか頑固で禁欲的な人物と想像するが、

一体、彼は本当のところ、どのような体験をし、どのようにしてこの思考にたどり着いたのか。

本書は、ウィトゲンシュタインの著書に対する解説書とは異なり、ウィトゲンシュタインという人物

そのものに迫ることで、彼の思考の枠組みを解き明かそうという面白い視点の文献だ。

その意味で、哲学を深く掘り下げるには向かないが、この「現代思想の冒険者たち」シリーズは

「難解さの回避」をシリーズのルールとしていることもあり、難解なウィトゲンシュタインを理解する

出発点として非常にありがたい手がかりになると思う。

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若き日のウィトゲンシュタイン

ウィトゲンシュタインは、1889年にオーストリアの裕福な家庭に生まれている。

彼は、自宅で教育を受け、また名士(特に音楽家)との社交の中で、様々な物の見方を学んだに違いない。

そして、彼は莫大な財産の相続の権利を放棄し、奨学金を得ながら自己の探求を続ける道を選ぶ。

マンチェスター大学等で機械工学を学んだ後、関連して読んだ『数学原論』の著者、

バートランド・ラッセルに師事し、ケンブリッジ大学トリニティカレッジでラッセルの下で哲学を学んだ。

こうした背景と別に重要なのが、第一次世界大戦への従軍体験と、家族に共通する抑うつ体質だ。

ルードウィヒの4人の兄のうち3人が自殺をしており、ルードウィヒ自身も常に自殺への衝動と

葛藤していたと言われており、こうした点も彼の哲学に間接的に影響を及ぼしているのだろう。

周りの人の証言によると、彼は極めて神経質かつ臆病だが、目標には貪欲に振舞ったという。

 

人間、ウィトゲンシュタインの覚悟

こうして考えると、『論考』からイメージされる冷徹なウィトゲンシュタインとは見方が変わってくる。

彼は、哲学を使って自分の鬱屈とした気持ちの居場所を見つけようとしていたようにも思えるのだ。

彼は『論考』によって哲学的問題は解決されたと述べたが、それは、決して人間の実存的問題が

解決されたという意味ではなく、彼なりに人間にとって何が実存的問題なのかの線引きをつけ、

改めて実存的問題に向き合う第一歩という意味だったのだ。

哲学的な問いを問うことによって、ひとは、思考の限界を超えようという
無駄な努力をすることになり、また、思考の限界は言語のなかにおいてしか定められない。
したがって、言語において何が意味をなし何が意味をなさないかについて
誤解するからこそ、ひとは思考の限界を超えようとするのである。
ありとあらゆる科学上の問いが答えられたとしても、われわれの人生に関する問題は
まったく手付かずのままであると、われわれは感じる。
もちろん、このときには問いはもはや残っていない。そして、まさにこれが答えなのである。



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