人権を疑え!

人権を疑え! (新書y)

言葉の独り歩き

本書は、宮崎哲弥を中心とする7人の論者による、「絶対的人権論」への批判である。

絶対的人権論とは、人権が生来的に人間に備わっていることを前提とする考え方だ。

確かに、アメリカ独立宣言(及びそれに類する日本国憲法)には、

「生命、自由及び幸福」に対する不可侵の権利が謳われている。

そのため、僕たちは一般に、相手に対して一律にその権利を主張することを当然と考えている。

もちろん、生命権などはほとんどア・プリオリな概念だと思うが、僕らには生まれながらにして

平等に自由・幸福を周囲に行使する権利が備わっていると仮定することは可能なのだろうか。

行き過ぎたリバタリアニズムが、かえって人権の抑圧になってしまっているのではないか。

(論者は評論家の宮崎哲弥、京都大学の佐伯啓思、評論家の呉智英、

ノンフィクション作家の高山文彦、東海大学の定方晟、弁護士の山口宏、

スタンフォード大学フーバー研究所の片岡鉄哉)。

 

程度論としての人権論

もとを辿れば人権は①個人と国家の関係のみに係る限定的なものであり、

かつ②その権利内容は可塑的であることを忘れてはいけない。

個人や団体を相手に「人権侵害だ」と言うときの人権は、

民法上の私権に過ぎないし(新しい人権(環境権など)もその延長)、

自由権にしても、必ずしもリバタリアニズム的な極端さを表しているとは限らない。

国家権力の制限の仕方には、「程度論」に多様性があることは再確認しておく必要がある。

本書に掲載された論考の多くは、この点を改めて指摘し直したものであり、

その点、新しさがないことに物足りないと感じる方もいることは承知している。

しかし、冒頭に問題提起した通り、権利の問題定義を怠った論調が

あまりにも無批判的に行われているのも事実で、この点を踏まえ、

一般の読者も議論に誘う意図も込めて新書という形で出版されたものと理解している

 

選択論としての人権論

ここ最近、マイケル・サンデルの政治哲学講義が注目されているが、

このことは僕は日本の民度向上のためにプラスの現象として見ている。

しかし、政治哲学は、人権とは何かについての上記の了解を前提に、

国家と国民の関係性をどうデザインするかという議論であり、その前提を了解せずに、

デザインのレベルで物事が収束するような表面論になってしまわないか危惧している。

編著者が冒頭に書いている通り、「本書には「劇薬」的、「ショック療法」的とすらいえるほど

戦闘的な人権否定論が並んでいる」が、問題そのものを見直すことの重要性に気付かせる

「劇薬」としては十分機能してくれていると思う。

もちろん、絶対的人権の否定が即ちMulti-Culturalismというのも誤った問題定義である。

何らかの立場を慎重に主体的に選び取ることでしか、人権は定立できないからである。

究極的な相対主義は、アメリカに無気力状態しかもたらさなかったという

かつてのアラン・ブルームの指摘は重要な警鐘である。

 

最後に、このように人権論はもともとの性質上、終わりのない議論であることを踏まえ、

問題そのものをどう設定するかを問いかける僕の好きな名著の一文を紹介したい。

正しい問題定義が得られたという確信は決して得られない。
だがその確信を得ようとする努力は、決してやめてはいけない。



この本についてひとこと