学力低下論争

学力低下論争 (ちくま新書)

終わりのない論争

日本の学力低下についての論争は、著者も指摘しているように、周期的に繰り返されてきたテーマである。

最近はそうしたブームの再燃期にあるということだろうか、大学全入時代を迎えて再び論争が勃発している。

こうした論争はいつも堂々巡りの議論が続けられていて、建設的な方向性が見えないのは僕だけだろうか。

これまでの論争の経緯を、報道記事等を引用しながら丁寧に記録した本書は、空中戦になっている議論を

一度整理し、改めて日本の教育として何が求められているのかを再考するいいきっかけになる。

出発点として、各論調が主張するところをニュートラルに捉える意図で、本書はこれまでの論争

記録することに多くのページを割いているが、この点、読者によっては退屈な部分があるかもしれない。

各論調に対して頷けるところ、議論の余地があるところなど、自分なりに整理しながら読み進めたい。

 

争点は何なのか?

著者は、これまでの学力論者たちの主張を大きく2つにカテゴライズしている。

→主張:基礎学力(計算力等)を磨くことが学力向上につながる、受験も学習意欲の向上に一役買っている

→主張:詰め込み型教育から脱却し、思考力を鍛えるステップに来ている

この比較から分かるように、そもそも①と②の間で、学力が低下したか否かの事実認識が異なっている。

これでは水掛け論にしかならない。著者はこの点を突き、“学力とは何か”に立ち戻って議論していく。

 

“学力”とは何か?

一般的に学力と言うと、暗記型の知識と計算等の技能のスキルを指す。①の学力は、この分類に当てはまる。

一方で、②が主張したのは①の学力とは違い、物事を考え、解決するスキルを指して学力と言っている。

だとすると、これらのスキルは決して二者択一の話ではなく、並列に重要視されるべきものではないか。

著者はまず単純に、このように“学力”の一側面に囚われるべきではないことを指摘している。

その上で、著者は“学力”には更なる側面があることを論じている。

すなわち、そもそも物事を学ぶモチベーションや好奇心といった、物差しで測りにくい力である。

この力を合わせた三位一体で、大きな意味での学力が形成されるというのは、確かにしっくりくる話だ。

この“学力”の捉え方を踏まえ、著者は第3の学力論を提案する。

→主張:物事を学ぶモチベーションの低下が深刻であるからこそ、施策として教育改革が必要

 

“国家”としての学力論

僕は、著者の主張する第3の軸、“学習意欲アクティベーション”的な方向性には大筋で賛成である。

しかし、果たしてどのレベルの学力水準をゴールとして、手を打っていくべきなのだろうか。

そもそも学力論は政策としての教育を対象としているわけだが、“平均の学力”が低下すると本当に問題なのか。

もちろん一定の手当は必要だが、平均値が低下しようと関係ないという議論も無視されるべきではない。

おそらく、このあたりの“国家”として目指す姿が見えない限り、また新たな学力論争が生まれるのだろう。

個人的には、“均質化”より“精鋭化”の議論をすべきではないかと思う。

いろんな“精鋭化”の形を明確にすることで、1つの物差しで無理に“均質化”を目指すより

よっぽど生産的でハッピーではないかと思うのだが。

memo_gakuryoku_teika

 



“学力低下論争” への1件のコメント

  1. clb_webmaster より:

    著者がコーディネーションしたシンポジウムの記録が参考になります。http://www.asahi.com/sympo/kyoiku2/

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