アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229)) Do Androids Dream of Electric Sheep?. Philip K. Dick

本物の人間は誰か?

SF界の巨匠フィリップ・K・ディックの名作で、「ブレードランナー」として映画化されたヒット作。この物語は、舞台設定からぶっ飛んでおり、ディックらしい世界観にわくわくさせられる。

時代は第三次世界大戦後、自然が壊滅的に打撃を受けた世界において、生物が全て法律で厳重に保護されている中で、本物そっくりのアンドロイド生物が紛れている。主人公のリック・デッカードは、賞金稼ぎのために、他者への共感の度合いを測定する「フォークト=カンプフ感情移入度測定法」というテストによって人造人間を探すのだ。

このような異色な設定は、ともするとSFのテクニックばかりが先行した物語にもなりかねないが、ディックはこの複雑な物語に緻密な伏線をはり、逆説的に「人間とは何か」を浮き彫りにしている。SF作品におけるひとつの金字塔だ。

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人間のアンドロイド化

この物語で象徴的なモチーフは、「情調オルガン」(ムードオルガン)という機械だ。これは、ダイヤルの組み合わせによって、人間の感情を自由にコントロールできる代物だ。いわゆるロボットSFの世界観は、ロボットの側が人間に近づいていく様子を描くのが一般的だ。しかし、ディックは人間が徐々に機械に置き換えられ、「アンドロイドの人間化」ではなく「人間のアンドロイド化」にフォーカスをあてる。

主人公は、質問に関する情緒反応を観察することでアンドロイドを見分けるはずが、人間の方が情緒をアンドロイド化させてしまうことで見分けがつかなくなるのが強烈な皮肉だ。なんと、情緒の劣る人間はアンドロイドと見做され、破棄されてしまう。

人間は、機能的に優れたものを望み、自分を徐々に機械化していきながら、一方で、アンドロイドと同一化することは心の底で拒絶している。しかし、人間とアンドロイドの境界は徐々に不明瞭になっていく現実がある。反対に言えば、人間とアンドロイドの境界は案外そんな簡単になくなってしまうものかもしれない。

 

「共感」という救い

しかし、ディックは人間が「生」というものに対して執念をもつ様子をリアルに描いていく。例えば、人々がマーサーとの共感を通して孤独から解放されようとするマーサー教に救いを求めたり、主人公が仲間や自分自身がアンドロイドではないかと疑いながら、本物の動物に異様に執着するなど、アンドロイドの進化によって翻弄されながらも、すがるものを求める姿が印象的だ。

人間同士のつながりという幻想的なフィクションで辛うじてアイデンティティを支えているある意味脆い人間のあり方が曝け出されることで、かえってそれを信じるしかないという「共感」の大切さを改めて認識させられた気がする。

君の抑鬱の苦しみが、いまはじめてわかったような気がする。これまでのおれはこう思ってた―きみの抑鬱は好きでそうしているんであって、そこから脱出したければ、いつでもそうできるんだ、と。たとえ、独力ではむりでも、情調オルガンを使えばそうできる、と。だが、抑鬱にはまりこんだ本人には、そんなことどうでもよくなるんだってことが、やっとわかったよ。自分の存在価値を見失ったことからくる感情麻痺だ。一時的に気分がよくなっても、それは変わらない。というのは、もし自分に価値がなければ―



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