ドグラ・マグラ

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫) ドグラ・マグラ (下) (角川文庫)

読んだ者は必ず精神に異常を来たす

『ドグラ・マグラ』は、夢野久作が残した日本探偵小説三大奇書の1つだ。

いわゆる探偵小説と言えば、犯人が誰なのか、トリックは何なのかに謎があるものだが、

この物語は、そもそもどこまでが本当に起きていることなのか、

そうした事実認識まで疑ってかからねばならないところに、どんどんと謎を広げていく。

時は大正15年頃、九州大学の精神病棟で名前も過去も全て忘れた状態で目を覚ました「私」は、

記憶を取り戻す実験として、同大学の博士から世にも奇妙な殺人事件の話を聞かされるのだが・・・。

自分は一体誰なのか、母と従妹を殺したというその男が自分なのか、その男の話を聞かせてくれた

相手をどこまで信じていいのか、いやむしろ目の前のことは全てキチガイである自分の妄想ではないか。

「私」の存在の足場が次々と崩されていくうちに、読者も知らぬ間に発狂をもよおすことになる。

胎児よ胎児よ何故踊る 母親の 心がわかっておそろしいのか

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「私」を巡る摩訶不思議な話

はじめに「私」に実験を仕掛けるのは、法医学の若林博士だ。

彼は「私」に対し、ある殺人事件、具体的には呉一郎という男が、自分の母親と、婚約していた従妹を

突然殺害した凄惨な事件の原因究明に、実は「私」の記憶が決定的なカギになっていると伝える。

そう言われても何も思い出せない「私」だったが、一命を取りとめた従妹と思しき女性に会わされ、

事件に関する克明な記録を読まされるにつれ、だんだんと呉一郎の存在がリアルに感じられる

だけでなく、どうも博士が仄めかすところによると、むしろ「私」がその殺人鬼の可能性すらある。

まさか! そこに今度は精神医学の正木博士が現れる。

彼は、精神の特質が遺伝的に受け継がれるという「心理遺伝」の観点から、この事件に着目していた。

実は、呉家の祖先は1000年前に今回の事件に手口が酷似した殺人を犯していたのだ。

そこで彼は、呉一郎を実験台に、彼の無意識に閉じこめている記憶を解放させ、

同様の事件を起こすことができれば、「心理遺伝」を証明できると考えたわけである。

だとすると「私」は正木博士の操り人形として殺人を犯したのか。

実は「私」には更なる落とし穴が待っていた・・・。

われわれが住んでいるこの世界は、現代のいわゆる唯物科学の原則ばかりで
支配されているんじゃないんだよ。同時に唯心化学・・・・・・すなわち精神科学の
原則によって何から何まで支配されていることを肝に銘じて記憶していないと、
この事件の真相は分からないよ。

 

「私」という幻想の解体

「ドグラ・マグラ」とは、一説に「切支丹伴天連の使う幻魔術のことを云った長崎地方の方言」である。

この意味が示す通り、ここに語られている物語は「私」の、そして読者の存在を揺るがす呪文に満ちている。

結局「私」とは誰か。本当に「私」の記憶と言えるものはどの程度あるのか。

言葉の「呪い」は、人間の脆いアイデンティティをいとも簡単に壊して見せる

正木博士が言うように、「諸君も吾輩も共々に、精神病者と五十歩百歩の心理状態で生きているのだ」。

異常人格者、精神耗弱者、キレやすい変わり者、抑うつ症状、二重人格・・・。

そうやって極端な例でいくらラベリングしようとも、僕らが「正常」である証には決してならないのである。

現代の精神医学においても存在する限界を、1935年の時点で見事に指摘した夢野の鋭さに驚かされる。

普通人と精神病者との区別が付けられないのは、刑務所の中にいる人間と、
外を歩いている人間との善悪の区別が付けられないのと同じことである。
すなわち地球表面上は古往今来ソックリそのまま「狂人の一大解放治療場」となって
いるので、九大の解放治療場は、その小さな模型に過ぎないのだ。その証拠には、
その中にいる患者たちも、やはり諸君やわれわれと同様に「おれはキチガイではないぞ」と
確信しつつ、盛んに心理遺伝を発揮しているではないか・・・・・・と・・・・・・。



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