日本の難点

日本の難点 (幻冬舎新書)

宮台流 日本を問う理論と実践

ブルセラ女子高生の調査から郊外都市の研究、更にはロビー活動まで。社会学者宮台真司の特徴は、社会学の第一線の理論家であると同時に、現実を動かす政治としても社会学を実践していることだ。本書は、そんな宮台社会学の理論・実践の総まとめとして位置づけられる1冊となっている。

前半では、理論的視点からポストモダンにおける人間関係・教育・幸福の質的変化を追いかけ、著者がよく「意味から強度へ」と指摘するような、再帰的現代だからこそ求められる態度を論じる。一方で後半では、アメリカと日本における昨今の政策実務における問題点と教訓をまとめ、前半の議論も踏まえながら、より効果的なあるべき政策論議につなげていく。

このような構成で、日本社会が抱える構造的問題のエッセンスがわかりやすく提示されており、理論だけ、政治だけの文献に片手落ち感を感じていた方が待ち望んでいた内容となっている。

 

この国を覆う「再帰性」の闇

前半における最大のテーマは、現代の「再帰性」である。「再帰的」とは、正統性の「底が抜けた」現代において、閉塞感や不自由さから脱却しようとしても、その行為の恣意性に気付いているため、“今ここにいる私”の拠り所が無限後退してしまう状態である。

そうした「関係の履歴」の希薄化は、ひいては社会全体で見ても「お前が死んだら悲しい」「嘘つけ!」で終了する関係性の蔓延につながっていく。これを著者は「社会的包摂の空洞化」と呼んでいる。僕らが社会にコミットできる対象は徐々に狭まり、政治・教育・人間関係のどれをとっても「あるある」と頷き合えるシーンを共有できる「島宇宙」で盛り上がる共同性へと短絡化しているこの国の現状が、著者の指摘によって改めて目の前に突き付けられていく。

 

ポストモダンにおけるコミットメントの作法

著者は、こうした現状を分かった上で、“敢えて”のコミットメントを提唱していく。

「共通前提」が消えていくプロセスに是々非々で抗うことが必要だというのが、僕の主張です。むろん「自己決定」で抗うのです。「再帰的現代」なのだから。

では、どういう道具であれば、みんながコミットメントできるか。著者は、その原点を柳田國男に求めている。つまり国土保全に対するコミットメントである。確かに、この国のコミットメントの作法は、一緒にいて違和感がないという“近接性”で成立してきた。宗教や国家に正当性を持てない日本において、国土へのコミットメントは親和性が高いはずだ。

しかし、『M2 われらの時代に』で著者自身も指摘しているように、“近接性”のコミットメントは脆弱性があり、“禊ぎ”でやり過ごす健忘症や、祭り的ポピュリズムで脆弱性を繕ってきた側面もあると思う。その意味で、これまでの近接性とは一線を画す、国土に対する危機意識を高めるようなこれまでと異なる仕掛けが必要になってくるだろう。

 

周到な社会設計(ソーシャルデザイン)へ

著者は、そうした点も考慮し、具体的に社会をどのように設計していくべきかに踏み込んで論じていく。ポイントは、無自覚なバカが伝染らないようにした上で自覚的なエリートが社会を上から設計することだ。著者は、この物言いが「ハイパー・メリトクラシー」を肯定するように受け止められることも承知だ。

社会設計しないこと(不作為)もまた一つの社会設計(作為)になってしまうということです。とすると「周到な社会設計」と「杜撰な社会設計」の違いがあるだけになります。ということは、社会設計をしないことを含めて「周到な社会設計」が必要だという結論にならざるを得ません。

そうした危機感と、設計能力の実効性の観点から、避けて通れない道として提示しているのである。トニー・ブレアの「第三の道」や、ヒラリー・クリントンの「フィールグッド・プログラム」など、大衆を社会にどう包摂していくかの設計は、先進各国において実務的な問題になっているのが現実だ。その時、日本社会はどういう選択肢を取るべきか。目の前の課題は深刻だ。



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