恵比寿屋喜兵衛手控え

恵比寿屋喜兵衛手控え (講談社文庫)

舞台は公事宿

江戸の昔、訴訟に挑む人々の根城となり、身の回りや手続きのサポートをする公事宿という旅籠が、現在の東京中央区の馬喰町にあったのをご存知だろうか。訴状を持って上京した逗留者の悩みに乗り、訴状を代筆し、必要があれば公事方との交渉ごとも代理する、いわば旅館兼司法書士的な位置づけだったのだろう。

そのひとつ、恵比寿屋を切り盛りする主人がこの物語の主人公、喜兵衛である。10月のとある夕刻も、喜兵衛はいつものように通りに立ち、道行く旅人たちを旅館に勧誘し、そこでひっかかったある男を、あくまでいつも通りのつもりで宿に迎えたのだった。その男は、越後からやってきた六助という若者。兄が見知らぬ男に突きつけられた身の覚えもない借金に、公事訴訟を申し立てるという。喜兵衛には慣れたこと、無頼者による最近流行りのぼったくりの類だろうと踏むのだが・・・喜兵衛自身も夜道で刺客に襲撃される事態も発生し、どうも雲行きは怪しくなっていく。

 

舞台が役者を引き立てる

基本的な構図は謎解きミステリーだが、舞台設定のうまさ、訴訟の仕組みの面白さにのめり込んでしまう。作者が調べ上げた当時の訴訟制度や公事宿の詳細な史実に基づいて、物語へと再構成しているからこそ、そこに生きる人物が生き生きしているし、謎解きのロジックにもぐっと厚みが増して感じられるのである。本書が直木賞を受賞した際の選考委員、藤沢周平氏の講評は、この物語の魅力をずばり表現している。

時代小説の考証といえば、主題である物語を補強するための、あるいは状況を説明するための従属的なものと考えられがちだが、佐藤さんの場合はそうではなく、考証は従属的な位置から解放されて、作品の中で進行する物語と等質等量の役割をあたえられているように見える。

 

新しい時代小説

もちろん、この物語にはそれ以外にもたくさんの複線が張られている。喜兵衛と不仲になっている妻の絹や二号の小夜との危うい関係、六助と恵比寿屋の女中おふじとの色恋。複数のストーリーがもつれにもつれ、話のスジという意味では若干読みづらい部分もあるのだけれど、400ページの長編ながら、最後まで決して飽きさせないだけのつかみを持った小説だと思う。

また、時代物にありがちな情で何でも語ってしまわず、謎解きのロジックがしっかりしているので、いわゆる時代物があまり好きでない人も、本書ならきっと夢中になれるのではないだろうか。



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