希望の国のエクソダス

希望の国のエクソダス (文春文庫)

日本という国の崩壊

村上龍の一大テーマは、僕が思うに一言で言うと“何が正しいかは体制ではなく個人が決める”だ。

『希望の国のエクソダス』は、数々の村上龍作品の中でも、このテーマを最も強調した作品だと思う。

その他に、『13歳のハローワーク』や『半島を出よ』、『五分後の世界』などでも、同様のテーマを描いているが、

本作では、日本という体制の狭間で浮動する子供たちが、体制の矛盾を超えて生きていく様を

徹底的に描いており、最も端的に、そして最も強烈に、日本が抱える問題点を提出している。

 

ノンフィクションと言い切れない怖さ

物語は、CNNの記者がパキスタンに住む謎の日本人少年にインタビューするところから始まる。

この少年は日常のことのように銃で武装しており、自分はパシュトゥーンの一員であると語る。

この映像は、心のどこかで世の中に対する矛盾を抱えていた世の中の中学生を刺激するのに十分だった。

インターネットを介して組織化された集団不登校は、瞬く間に全国に広がり、

中学生たちは余った時間を利用してバーチャルビジネスを立ち上げ、ついには金銭的に自律していく。

印象的なのは、彼らが独自に考え出した地域通貨の格付が、体制側(つまり日本国)のそれより高いことである。

日本の(大人の)拠り所である経済パワーの実態など、その程度のものなのかもしれない。

 

死に向かう国

現代の日本において、既存のヒエラルキーの体制を維持することは“真綿で首を絞める”ことに似ている。

『会社は頭から腐る』で冨山和彦が指摘しているように、体制派の大企業は、付加価値の薄い多角化、

累積する不良債権、果てには一部の企業は粉飾決算まで駆使して、無理くり旧体制を維持しようとした。

その結果、この社会は“失われた20年”をむかえ、現在も出口の見えない閉塞感に覆われている。

遠い国では民衆が立ち上がっているというのに、この国は徐々に、だが確実に死に向かっている。

そのようなこの国の姿に、“希望の国”を見出すなど、到底できるはずがない。

この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。

 

サバイバル力をつけるには

では、これからの日本について、この物語はどのようなメッセージを送っているのか。

村上龍は、僕が参加したあるセミナーで以下の趣旨のことを語っていた。

何かを本気で学ぶには情報に飢える必要があるが、

本人以外は“飢え”との出会いをサポートするまでしかできない。

もちろん、“正しい出会い”的なステレオタイプを押し付けても物事は解決しない。

そうした体制的ステレオタイプこそ、この国においては疑ってかかるべきものだからである。

作者は、子供たちが独立国家の建国を通じて、それが正解であったかは分からないが、

新たな心境に到達していく様を、敢えて“大人”の“雑誌記者”の視点で観察することで、

体制から離れることの自由さ・辛さをありのままに描いている。

そのことで、僕らに“飢え”るきっかけ、生きる力を与えようとしているのだと思う。

 

あなたならどうする

この物語の子供たちが、閉塞に対する明るい兆しを見つけられたかというと、必ずしもそうではない。

この物語の先を描くのは、読者自身なのだと思う。

また、この物語を読んだからには、現実に立ち向かう以外の言い訳をシャットダウンされたとも言えよう。

さて、あなたならこの国の未来、この国で生きていくということに対して、どのような答えを得るだろうか。



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