ダライ・ラマ自伝

ダライ・ラマ自伝 (文春文庫) Freedom in Exile

ダライ・ラマの引退をきっかけに

チベットの片田舎に生まれたテンズィン・ギャツォは、1938年に第13世のダライ・ラマの

生まれ変わりと認定され、1940年に第14世ダライ・ラマに即位して以降、

チベットにおける人権の回復と世界平和を、仏教徒の立場から徹底して主張してきた。

彼の活動は、1989年にノーベル平和賞を受賞するなど、

世界的にもその重要性が認められてきたことは周知の通りである。

しかし、(チベットから見た)一外国人として、チベットが辿ってきた歴史的実態や、

圧政の中でも民主的平和を保持しようとしてきたチベット民族600万人の葛藤について、

インフォメーション以上の関わりを持ってこなかったというのが、僕個人の実情であった。

そこに2011年3月10日、ダライ・ラマがチベットの政治的指導者から引退するとの発表。

しかも、今後は政治的意思決定にダライ・ラマを介さず、政治主体を会議体に移譲するという。

精神世界の重要性を常に重んじ、宗教と民主制の融合を絶妙なバランスで実現してきた

チベットのこれまでとこれからを知りたい。僕は慌てて本書を紐解くこととなった。

 

仏教的実践としての装置、ダライ・ラマ

チベットは中国、インド、ネパール等に国境を接し、数々の高山に囲まれた山岳国家である。

チベット人はカルマ(業)の教義、つまり己の因縁果を相続していくことに対し、

深い帰依の精神を持っており、「五体投地」という全身を投げ出す祈祷や、

霊祭、お告げ師、占いなど、生活実践として日々の中に仏教が根付いている。

ダライ・ラマは、そうした仏教的実践の中でブッダのトゥルク(生れ変り)と位置づけられた職位で、

先代が亡くなるたびに、その生れ変りをその都度、お告げや印にしたがって見つけ出すことで

連綿と受け継いできた特別な存在である。

このように、生き方を形作る処方箋として「人々の傍に仏教がある」のがチベットなのである。

(ここでは詳しく触れないが、チベット仏教は哲学思想として龍樹の中観派を継いでおり、

僧院教育においては論争を通じ、論理的思考を研ぎ澄ますことを重視している点も非常に興味深い)。

経済的にも、標高が高いため大規模な農業に適さず、零細な農業・牧畜、交易などを

通して静謐を旨として生きてきた国である。

 

チベットと中国の歴史

1949年、中国では毛沢東をリーダーとする共産党が国民党に勝利し、中華人民共和国が成立する。

共産党は人民解放軍を率い、周辺地域(チベット、新彊、海南島、台湾)に強硬に中共を拡大する。

以降、中国は現在に至るまで、チベットに対して武力行使を含む弾圧を加え続けている

(1965年、中国領化(チベット自治区成立))。

しかし、中国はチベットでの出来事に対して徹底した情報統制を敷き、対外的には、

旧チベットは封建農奴制社会であり、中国の援助で開発を遂げたという主張を繰り返してきた。

日本においても日中関係を慮るあまり、チベットについてあまりにも報道されない状況が続いてきた。

そうした中でも、チベットの実情が世界中で認識されるようになったのは、

第14世ダライ・ラマによるところが大きい。

 

語られてこなかったチベット侵攻

これまでのダライ・ラマは、仏教における絶対的存在として聖的にチベットを牽引してきた。

しかし14世は違った。人々と日常を共有しながら、

平和実現に向けた実際的な活動(政治・教育その他)を強く打ち出したのである。

それは、彼が幼少期から中国の侵略を見つめ、

チベット民族の壮絶な亡命を身をもって経験してきたことと強く結びついている。

本書の多くは、亡命生活中に彼が見た惨劇の様子や、中国共産党の幹部とのやり取りと

そこから学んだことに割かれている。

克明に記録されたチベットの被害は目を覆うばかりの様相で、読んでいて絶望感に苛まれる。

彼も、中国軍のチベット民族(ひいては人間)に対する無関心・無慈悲を感じ、

絶望的な思いに駆られるのだが、共産党幹部との対話の中に人間らしさの縁を感じ取り、

そこに一縷の望みがあるのであれば、どうにかして非暴力での平和を実現してみせようという

建設的な考えに至る点で、彼の平和への意志の強さに驚かされる。

 

世界に対する宇宙的責任感

彼の偉大なところは、「一切の生けるものが共存し、自然が復活、繁栄する世界」を構想している点だ。

チベット―中国、宗教―近代というような対立の問題を、世界に対する宇宙的責任感という観点から

捉えなおすことで、自己利益から出た矮小な論点を、すべて飲み込んでしまうのである。

だからこそ、彼は仏教以外の宗教家とも分け隔てがなく、

また彼の言葉が全世界で大きな共感を呼ぶものになったのであろう。

ダライ・ラマのこうした高い視座と、それを貫く徹底的に実践的なスタンスは、

平和との精神的格闘なき日本人がこそ汲み取り、血肉とすべきことではないかと感じる。



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