世界の宗教

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宗教の昔と今 現代につながる宗教史

あなたが日本人なら、信仰を持つことのそもそもの意味に疑問を感じたことはないだろうか?また、アラブの紛争やイスラエル・パレスチナ問題など、宗教と深い関わりを持つ時事問題に出会ったとき、宗教とは何かを問い直したいと感じたことはないだろうか?

日本において宗教は、冠婚葬祭における形式手続きや、カルト的なおどろおどろしいものとして捉えられがちで、宗教が生活に息づく感覚を感じるきっかけはなかなかない。また、一方で安易なスピリチュアルを真理だと思い込みやすい日本人の免疫の低さも、そうした宗教感覚のなさという要因において結局は同根である。

その意味で、宗教の起源や世界宗教の成立の歴史を紐解いて、宗教史の知識を提供するだけでなく、現代ならではの宗教のあり方の分析にまでつなげる本書は、生きた宗教を知る貴重なきっかけになる。

 

宗教の起源とは

宗教の原初は、よく歴史教科書にも写真が掲載されている洞窟画に見られるという。洞窟画のモチーフには、主に狩猟の対象となる動物が多く、部族内の結束を象徴する言われる。このような共同体意識としての信仰は、次にマナ(異常なもの・現象)信仰(=「プレアニミズム」)、さらにアニマ(霊魂)信仰(=「アニミズム」)へと段階的に遷移すると、一般的には捉えられている。世界(=共同体)の“内側”の論理だけでは語りえない謎が深まるにつれて、人は世界の“外側”を創り出し、その規定不可能性に対して信仰していくわけである。

今日の世界宗教(キリスト教・イスラム教・ユダヤ教等)や、民族宗教(日本の神仏習合等)も基本的には、こうしたフレームワークの中で生まれてきたものだと考えられる。本書は、さらに宗教発展の歴史や世界宗教と民族宗教の違いなどについて、詳細に解説している。

 

宗教における神話の役割

宗教には“信仰の対象”が存在する。偶像崇拝を禁ずる宗教でも、信仰の対象は存在する。その中心となるのが、神話と儀礼である。

神話はその宗教のコスモスであり、主体的な物語である。神話には、神聖性・主権性、戦闘性、生産性・豊饒性・平和など、様々なテーマが描かれ、そうした生命活動、社会活動の縮図を通して、宗教者は“世界と自分”や“生と死”の意味を見つける。(だからこそ、時に神話が政治的な意図をもって操作されようとするケースが起きる。)

一方の儀礼は、神話を行動で表現する場であり、今ここに神話を再現するテクネーである。例えば、一定の年齢で特殊な試練を与えられ、成人として生まれ変わることを表現する通過儀礼や、アメリカのメモリアル・デイ(戦没者追悼記念日)のような、民族意識を高揚させる強化儀礼もひとつだ。このような神話と儀礼の役割は、僕らが宗教を求める意味を生き生きと表している。

 

現世否定から現世肯定へ

さて、このような基本理解を踏まえ、話題は近代における宗教へと移っていく。近代宗教を捉えるポイントは、現世の否定から肯定への変節である。近代における代表的な宗教は、キリスト教も儒教もイスラム教も、もともとは現世を拒否する宗教だった。つまり、現世の価値を乗り越え、普遍的・超越的な価値に目を向けてこそ、安楽や救済につながる。しかし、本書は興味深いことに、そうした価値観が近代化の過程で性格を変えていくようすを描いている。

その代表的なイベントに、マルティン・ルターの宗教改革(1517年)を挙げている。カトリック教会の免罪符制度に抗議したルターは、「万人祭司主義」、「聖書主義」、「信仰のみ」と強調した。お金があれば天国に行けるという腐敗した教義に対抗し、個々人の信仰の純粋さを重視したわけだ。しかし皮肉なことに、この態度が、神から与えられた職業(Calling)に積極的な意味を与え、経済活動も一種の信仰につながるという理路によって、現世肯定の「世俗内禁欲」に行き着いたことはマックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムと資本主義の精神』でも論じた通りである。

 

世俗内禁欲から世俗的ナショナリズムへ

こうした宗教の近代化は、更に「世俗的ナショナリズム」という形で現代化されていくことになる。つまり、近代資本主義が発達する中で、当初のプロテスタントに見られた宗教集団的意識が薄れ、宗教が個人化していく過程で、宗教集団と入れ替わりに国家がイニシアティブを取る構造変化が起きた。社会や共同体の“底が抜けた”ところに、資本主義システムとしての国家がすっぽり嵌った格好だ。こうして宗教の価値観は、資本主義的ナショナリズムの枠組みの“内側”に存在するものとなった。

このことは、必ずしも良いことではない。なぜなら、前述の通りそもそも宗教は世界の“外側”を語るためのよすがだったのだから、そうでなくなれば当然に生きることへの閉塞感を導くことにつながる。またこのことは、イラク・アフガン戦争やその後の「テロとの戦い」を引き起こした根深い原因でもある。すなわち、イスラム原理主義に見られるテロを含む抗議活動は、欧米に代表される資本主義的ナショナリズムへの抵抗であり、資本主義的ナショナリズムの枠外で生きる宗教者にとっては資本主義的イデオロギーへの攻撃こそが彼らの宗教的実践と一致することになるからだ。

 

僕らが直面しているのは、このように宗教・社会・政治・経済が絡み合った複雑な問題である。一方で、各国・各宗教に生きる人々それぞれが、救いを求めていることで共通していることも事実であり、そこに互いが「地平の融合」(ガダマー)を見出すきっかけがありはしないだろうか。



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