社会を変えるには

社会を変えるには (講談社現代新書)

「社会を変える」とはどういうこと?

行き詰ったこの社会を変えようという呼びかけの書は多い。しかし、いざ変えようと思っても、デモに参加するのがいいのか、ロビー活動が必要なのか、とにかく投票をすべきなのか。国民の側は、どう手を付けていいか分からないまま、いずれも決定的なムーブメントに至らず、政治の側も、そうした国民の状況を見越して現状維持でも安心していられるという“ゆでガエル”的状況が現状ではないだろうか。

その原因は、“そもそもどうすれば社会を変えられるのか”の見通しがないところにある。バラバラに島宇宙化した日本の何が変われば、社会全体を変えることにつながるのか。この根本的な問いに対し、果敢にチャレンジしたのが本書である。批評やダメ出しではなく、読者に社会を変える具体策を考えさせる問題解決の書だ。

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社会が見えづらくなった日本

そもそも、なぜ日本社会には、現在のように行き詰まり感が漂っているのだろうか。著者は、地方や企業に対する政治的な統制で成り立っていた“お上型システム”の崩壊が、3.11の大震災を契機に、地方の荒廃や原発に対するコスト意識の高まりといった社会の構造的限界を必然的に露呈させたことを明らかにする。

問題はそれだけでは終わらない。“お上型システム”の崩壊は、そこに所属していた日本国民の居場所を喪失させることも意味する。「一生面倒を見てくれることもなければ、一生所属する意識もなく、浮動する「自由」」を得た国民にとっての“公”は、必然的に“私”単位に矮小化し、私事・他人事化していく

反対に言えば、社会を変えるには、僕らが変えようと思える“われわれ”の意識を、もう一度再構築するところから始めなければいけないということだ。

 

“われわれ”をもう一度作れるか

“われわれ”の再構築とは、具体的にどうすればいいのか。著者は、戦後日本の社会運動が失敗に終わった体験や中世から近代、現代にかけての民主主義思想の変遷を紐解くことで、現代における“われわれ”作りの要点を抽出していく。ローマ帝政から、市民政府論、神の見えざる手、功利主義、アメリカの民主主義への変遷を“われわれ”作りの観点から論じていくロジックは、読み物として非常に知的好奇心を刺激される。

ポイントを単純に言えば、昔のように社会を束ねる分かりやすい理念や合意のない現代においては足場のない不安(再帰性)を受け止め、能動的に対話をしていくしかないということだ。「公開と対話」によって、誰もが主体者として参加する共同作業に持ち込む。社会イノベーターには、この粘り強い作業が求められる。

 

改めて「社会を変える」とは?

対話をはじめるチャンスは、3.11をきっかけにより高まっていると著者は言う。“私”の抱える不安や悩みを“われわれ”の課題として共有し、共感を高めていけるか。そこにこそ、社会を変えるヒントがあるということに気付くことが第一歩だ。

現代の誰しもが共有している問題意識があります。それは、「誰もが『自由』になってきた」「誰も自分の言うことを聞いてくれなくなってきた」「自分はないがしろにされている」という感覚です。これは首相であろうと、高級官僚であろうと、非正規雇用労働者であろうと、おそらく共有されています。それを変えれば、誰にとっても「社会を変える」ことになる、とは言えないでしょうか。

 



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