リフレはヤバい

リフレはヤバい (ディスカヴァー携書)

批判はありつつも、結局リフレは“ヤバいのでは?

リフレはヤバい。最悪だ。

そう始まる本書は、リフレ政策をリフレ賛成派の意見も解説しながら、批判的に検証した文献として、明快で分かりやすい。著者のリフレ批判は、ビジネスや消費の現場における僕らの感覚と整合的で納得感が高いことと、リフレ政策の盲点をうまく突くことを両立している点で、評価を得ている。

ただし、本書に対しては一方で様々な批判があることにも留意してほしい。例えば、

●タイトルが浅はかで読む気がしない(これはどうでもいい批判だが、なぜか多い)
●インフレになって国債が暴落するなどというのは暴論だ(だから、著者の言っていることは嘘だ)
●アメリカのQEが成果を上げたことをどう説明するのか。アメリカの経済学界では日本も量的緩和を行った方がいいというのが多数意見
●アベノミクスでは円安・株高で景気が良くなっている。過去の政策ではできなかったのだから手をこまねいているよりやった方がいい

もちろん、本書のみの説明では、一部の批判に対して丁寧に対応しきれていない部分はあると思う(例えば、国債暴落の議論。この点は、日経ビジネスオンラインのインタビューで補足されている)。しかし、これらの批判は、本書が主張するリフレの問題点の核心を否定するものにはなっておらず、リフレが“ヤバい”ものであることには変わりがないように思う。

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リフレ政策はインフレを起こせない?

著者は、リフレ政策の一番の問題点を次のように指摘している(下線太字は引用者)。

リフレ政策は、インフレをいったん起こしてしまうと、そのインフレが制御不能になってしまうことが問題なのではない。インフレを起こせないのに、インフレを起こそうとすることが問題なのだ。

著者が突くのは、リフレ派のアキレス腱である、インフレをどのように起こせるのかという論点(量的緩和の波及経路における問題点)である。量的緩和がインフレ効果を上げるまでには、企業が借入に動く(設備投資を積極化させる)こと、企業側の供給増加に見合うだけの消費者の需要が増加すること、需要増に従って企業が値上げすること、それにより高まった収益を労働者の賃金(所得)に還元されること等のハードルをクリアする必要がある。ちなみに、リフレ派の主張について知りたい方はこちらを参照してほしい

リフレ派の理路で言うと、貨幣数量説に則って「貨幣(M)×流通速度(V)=価格(P)×取引数(T)」で、Mを増やしさえすれば問題が解決するという。しかし、企業が借り入れなければMは実質的に変化がなく、仮に借り入れたとしても、投資に見合う需要(T)、企業の値上げ(P)、所得の増加(P)がなければ、Vが停滞する。失われた20年で問題とされてきた論点に向き合わず、本当にリフレで事が解決するのかという疑問はまさにこうした構造から生じているのではないだろうか。これらを踏まえた著者の答えはこうだ。

景気をよくするためにインフレを起こすこと、それは無理なのです。つまり、因果関係が逆なのです。

インフレ期待は、金利と資産価格には反映されますが、モノの値段には反映されない。だからインフレは起きないのです。

 

リフレ政策の副作用① スタグフレーションのリスク

著者の見通し通り、狙っていた形のインフレが起きないとすると・・・。単に何も起きなかったで済めばいいのだが、そこには大きな副作用があることを指摘している。

ひとつは、所得が増えないのにコストプッシュによって物価だけ上昇するスタグフレーションのリスク。リフレによって円安になれば、原油などの輸入価格が上昇し、企業のコストが増えると想定されるからだ。著者は日本企業にとって、そもそも無理に円安にするメリットは少ないと強調する。

一般的には、円安と聞くと「輸出型の日本にとって有利では?」と考えられているが、貿易赤字(輸入超過)の日本にはトータルで見ると逆効果であるし、確かに1円の円高・円安で一喜一憂するコスト体力勝負の大企業の声は目立つが、日本にしか作れない競争力の高い製品の多くは、実は円建てで取り引きされていることも事実だ。

また、為替差益/損は円建ての損益計算書上の見栄えの問題でしかなく、ドル建てで見た企業価値に着目する方が本質的ではないかとも指摘している。このあたり、本書では省かれているデータで検証したいが、筋としては頷ける指摘だ。

 

リフレ政策の副作用② 国債価格の下落

もうひとつは、国債価格の下落(=名目金利の上昇)が銀行の財務状態を悪化させ、ひいては政府の財政危機につながるリスクである。こちらは現実化すれば何より重大な問題だ。著者は、1997年のアジア通貨危機時に日本が蒙ったリスク(円安・株安・債権安)を指摘する。

この点、近年の国債金利の中期的なトレンドは、現実的には低下ないし低位安定化している。そもそも著者が指摘している通り、金融機関は貸し手が見つからず、消去法的に国債に資金が流れる構造にもあり、かつ金融機関は保有国債の価格下落を気にして買い支えに走るから、仮に少数派の海外投資家が投げ売ろうと、国債が暴落するリスクは今のところ相当低いと思われる。したがって、この国債暴落論をもって著者の議論が暴論だという批判も分からなくない。

しかし、買い支え以外に国債の価値が高まる積極的なファクターが見当たりにくい中で、長期的にも楽観視していいということには決してならない。著者はこの点を踏まえ、日経ビジネスオンラインのインタビューの中でこう答えている。

日本の国債を膨大に抱えている金融機関は今後、値下がりしていく国債を抱えながら含み損が増えるのを甘受しながら何とかしのいでいくという状況になるのではないでしょうか。

 

じゃあ、どうすればいいの?

僕らに与えられた課題は、著者が指摘する以上のような課題に応えていくことだ。著者自身は、「おわりに」で対応策として人的資本の競争力強化、すなわち教育政策に触れている。しかし、これはあくまで“触り”でしかなく、読者は物足りなさを感じるところだろう。

より具体的なアクションプランのためには、解決策としての金融政策ではなく、金融環境による実物経済への影響をノーマライズする金融政策の水準とは、具体的にどの程度のことを指すのか。より本質的なはずだがアベノミクスで曖昧になっている実物経済の活性化策として、政府はどの分野でどのような手(規制緩和や所得・雇用に関するルール等)まで打てるのか/打てないのか。こういった論点を明確にしていくことが必要となる。

いみじくもアベノミクスが“3本”の矢と言っているのはその通りで、3本でも4本以上でもいいが、何か万能薬を期待するのではなく、それぞれの手を弁えながら複合的に手を打つことが健全だと思う。



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