爆笑問題のニッポンの教養 人間は動物である。ただし・・・・・・

爆笑問題のニッポンの教養 人間は動物である。ただし…… 社会心理学

あなたは他人を信頼できますか?

今回の「爆笑問題のニッポンの教養」、舞台は北海道大学大学院文学研究科。訪ねたのは、日本における社会心理学の第一人者で、“信頼”の構造の研究で有名な山岸俊男教授。彼のアプローチは、個々人の心理状態ではなく、社会集団としての関係性に光を当てるのが特徴だ。顔も知らない人々が共生するには、どのような関係性であると社会全体の利益につながりやすいのか。そうした構造論から社会問題にアプローチしていくのだ。

この研究の成果は、名著『安心社会から信頼社会』に分かりやすくまとめられているが、本書では、そうした研究の成果に触れながらも、爆笑問題が参加する信頼ゲームの実験や、山岸教授が信頼に興味を持ったきっかけの話などを通して、“信頼”の社会学をより身近に感じられる内容となっており、社会心理学を知るきっかけとして手に取りやすい1冊だ。

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あなたならいくら寄付しますか?

“信頼”の働きを知るには、ある実験が分かりやすい。爆笑問題も参加した実験をまず紹介しよう。あなたは、互いに面識のない3人を相手に、所持金1,000円をいくら寄付するか(しないか)を1度だけ決める。他の3人も同じことをし、寄付された総額は倍になって4人全員に平等に分配されるというルールだ。例えば、全員が全額(4,000円)を寄付すれば、4,000円×2÷4=2,000円になって返ってくる。一方で、あなただけが1,000円を寄付してしまうと、あなたの所持金はゼロになってしまうわけである。こうした状況において、あなたならいくら寄付する(しない)だろうか。

爆笑問題の2人は、田中裕二は全額寄付し、結果800円の損。太田光は100円しか出さなかった結果、1,100円の儲けになった。しかし、仮にこういう社会が続くなら、損した人は次回も同じことはしないだろう。そうすると、誰も寄付しないところが社会の均衡点になっていく。その結果、社会全体の儲けは、もともとの所持金から増えないことになってしまうのだ。

 

日本社会に本当の“信頼”はない?

山岸教授は、この実験を通して、アメリカ人の方が日本人より寄付する傾向があることを突き止めた。つまり、個人主義だと思われているアメリカ人に比べ、日本人の方が相手を信頼していないということだ。日本人は協調性が高く、互いに親切にしそうな感じがする。そんな一般的な感覚とのギャップを、山岸教授は「安心」と「信頼」という2つの概念を用いて明快に整理していく。

「安心」とは、何らかのルールによって、相手が想定の範囲で行動することを期待できる状態を指す。日本の“村社会”には暗黙的な同調圧力があり、山口県の集落で起きた事件のように、“村八分”のような制裁あってこそ成り立っている脆さも併せ持つ意味で、「安心」型の社会と言えよう。

一方、「信頼」とは、相手の顔が見えない中で、相手が自己利益のために搾取的な行動をとらないだろうと期待し合っている状態を指す。どちらかというと「安心」型のような監視がなくなると、かえって“旅の恥はかき捨て”的な行動をとりやすい日本人にとって、この意味での「信頼」は馴染みの薄いものかもしれない。

 

社会の構造にこそ問題の本質あり

このような研究を行う山岸教授の頭には、個人の心理ではなく、社会の構造にこそ、集団としての人間社会をベターな方向に導くヒントが隠されているという問題意識がある。

いまの社会が悪くなったのは人びとの心が堕落してきたからだと。そうなると心を入れ換えさせればいいじゃないかという一方的な議論になる。そういう考えかたで政策なり何かを作ると、それはやっぱり間違いで、あまり効率がよくないだろうと思うんですね。

こうした問題解決のアプローチを、「適応論的アプローチ」と言う。この適応論的アプローチは、開発経済学の最前線でもまさにホットな議論になっている論点である。例えば、バナジーとデュフロは『貧乏人の経済学』の中で、貧困国が貧困なのは、そこに住む人々が怠惰だからだと考えられがちなことに対し、現場で生じている様々な事例に基づき、彼らは彼らで環境に最適化して暮らしており、状況を変えるにはその裏にあるインセンティブ構造に手を付ける必要があることを明らかにした(アゼモグル、ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』も同様)。山岸教授の研究は、そうした“社会の前提”にメスを入れる非常に面白い学問なのである。



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