インターネット的

インターネット的 (PHP新書)

インターネット「的」な人間関係の可能性

インターネットという器を使って、僕らはどんなクリエイティブなことができるようになるのか。いまやAppleやGoogleのクリエイティブな事業コンセプトが広く知られるようになったが、糸井重里は、日本ではまだ「インターネット何するものぞ」と思われていた1997年にインターネットに出会い、彼独自の観点から「インターネット的」=インターネットがもたらす社会の関係の変化に思いを巡らせていた。

その分析は、全体的に少々荒っぽいところがあったり、今や当たり前に思えるところはあるものの、方向性として人間関係にどういう可能性をもたらすかについて、色んな気付きを与えてくれる。また一方で、インターネットの夜明けを過ぎた今と照らし合わせると、当初想定していなかった人間関係への負の側面も見えてくるところがある。

noun_23949

WHOLE(まるごと)の人間関係

著者が「インターネット的」と呼ぶ新しい人間関係のあり方は、3つのキーワードが軸になっている。

リンク:一直線なQ&A的やりとりだけでなく、周辺の情報まで交換できことで新たな可能性が生まれる

シェア:市場が主役になる中で、相手に対する“おもてなし”が市場の好感をつかむカギになる

フラット:地位や肩書きではなく、交わされる意味や思いこそが大切にされるようになる

この3つは要するに何を意味するのか。彼は、これを「WHOLE(まるごと)」と呼ぶ。つまり、雑談や雑音も含めた、その人・企業のまるごとでつながることで、工業的な効率とは違う息遣いを感じる、創発的な、クリエイティブな「遊び」が生まれてくる可能性。そこに着目したわけだ。著者は、この可能性を信じ、あえて極端なまでにアイディアの可能性を声を大にして訴える。(武田隆の“FOOL”のフレームワークに通ずるところがある。)

 

遊び感覚にこそ新しい価値が

1997年に暗中模索の中、はじめたという「ほぼ日刊イトイ新聞」は今や大人気メディアの1つだ。マスメディアの第一線で長年コピーライティングをしてきた彼は、このネットメディアを運営する中でこれまでと制作に対する考え方・スタンスがずいぶんと変わったという。

インターネットなら、未完成のアイディアもまずは出してみて、一緒に考えて、後から手直しできる。今まではスペースやテレビ的分かりやすさの都合(勢い=価値)で世に出なかった、ヘタだけど面白いアイディアや、ヒットチャート的でない独自性の高いアイディアを届けられる。資本やインフラがなくても、にぎわいをつくった者のところにアイディアは集まってくる。そういうインターネットならではの面白さへの自覚が、「ほぼ日」をにぎわせているのだろう。

ほんとうのアイディアとか、知恵とか、自由とか、くだらないこととかが、ネットの世界の外側にはもっとたっぷりあるのです、きっと。そういう「くだらなさを含めた人間の遊び感覚」が、人類全体の知的資源として、まだまだネットの世界の外にたっぷりと眠っているはずなのです。

 

消費側のクリエイティブを育てる

一方で、「インターネット的」な可能性の広がりを、僕たちは遊びつくせているだろうか。著者の「消費のクリエイティブを!」という呼びかけは、非常に大切なポイントだと思う。バブル期の成り上がりたちが結局、高級スポーツカー、億ション、六本木のねーちゃんにしか金の使い道がなかったように、僕らはインターネットを限定的な発想でしか使えていないのでは?

例えば、はてなブックマークやnaverまとめなどは、結局「勢い=価値」の枠内のように思えるし、ブログの炎上だって、マスメディアのスキャンダリズム的噴き上がりの延長線でしかない。このあたりの使う側の楽しみ方を広げていくところに、さらなる「インターネット的」可能性は眠っている。

遊び方の上手な人とか、休みを楽しく過ごせる人は、生産の場面で役に立ってはいないように思われますし、単なる趣味人として変わり者扱いさえされてしまいますが、ここに「消費のクリエイティブ」があるのだと考えたら、まったくちがった見方ができるでしょう。

簡単な便利をいったんは「ない」ことにするのが、これからの「消費のクリエイティブ」の練習なのではないでしょうか。



この本についてひとこと