民主主義が一度もなかった国・日本

民主主義が一度もなかった国・日本 (幻冬舎新書)

日本政治の構造的問題の棚卸し

2012年、3年間の民主党政権は終わり、自民党が再び政権与党を握った。この再びの自民党政権は、2008年以前への逆戻りを意味することになるのだろうか。アベノミクスの浮かれ気分も落ち着いてきた今、もう一度政治の意味を問い直す時期に来ている。

本書は、民主党政権発足間もない2009年に、外務副大臣の福山哲郎と社会学者の宮台真司が政権交代が起きた意味と、その背景にある日本的民主主義の限界を棚卸した対談の記録だ。ここで語られている民主党のミッションは、現実には実現できなかったところも当然あるわけだが、それでも、自民党/民主党いずれにせよ、この国の民主主義のあり方のどこがダメで、何を引き受けていくべきなのかのエッセンスがしっかりと整理されている1冊だと思う。

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民主主義を履き違え続ける国

本書冒頭では、宮台が中心となって、日本独特の民主主義っぽさの問題点を指摘している。日本は17世紀以降、ずっと治世の自明性が高く、「お任せ」の政治が機能しやすかったため、大衆は、あくまで任せる=「お手並み拝見」でいても大きな問題にならない構図でやってきた。特に、戦後の高度経済成長期においては、お金を引っ張ってこられる「任せておけ」タイプの頼れるおやじを支持しておいた方が、大衆にとってむしろ合理的な判断だったと言える。

しかし、そうした利権・分配ネットワークで社会を好循環させられなくなってくると、今度は逆に、大衆は「信じて任せたのに」的にお灸を据えるというネガティブな思考に行きやすくなる。2度の政権交代選挙は、明らかにこの構図にぴったり当てはまるのではないだろうか。選挙で多数決を取ろうが何だろうが、これは民主主義ではなく、単なる日和見的権威主義である。日本の政治を考える上では、この現実を直視しないと前に進むことはできない。

 

誰も引き受けない政治

そんな日本が、本当の日本型の民主主義にたどり着くには、相当大きなハードルがある。福山が振り返っている通り、マスコミはマニュフェストの意味を正確に理解せず、官僚の情報誘導にもあっさりと引っかかり、結局国民は「ぶれる、ぶれない」という訳の分からない空気で物事を評価する。例えば、取り上げられている「子ども手当」も、もちろん設計や伝え方に問題もあっただろうが、「バラマキだ」や「パチンコに使われる」などという表面的な議論に終始し、本質は全く議論されなかった。

二万六〇〇〇円を渡していても給食代払わないとか、学費払わないとか子どもを虐待している親には、「これだけ条件を整えているのに、何なんだ!」と、もう逃げる余地がないんです。(福山)

十分に社会的前提を整えたうえで、「あとはアンタ(たち)の問題だ、他人のせいにできないぜ」と“追い込む”のが、社会的包摂を支援する国家の役割です。(宮台)

このような、国家依存から脱却し、国民が「引き受ける」方向(「政治過程への参加」)に持っていくこと。ここをクリアできるかが本当はこの国のあり方を左右するのだが、残念ながら道半ばもいいところだ。

 

民主主義を勝ち取るという感覚のない国民

外交戦略についても、同様の国内事情を明かしている。民主党政権時代に大きく取りざたされたのは、鳩山元首相による「二酸化炭素25%削減」発言だ。この発言に対し国内のメディアは、マニュフェストに書いてあったにも関わらず、「言っちゃった」と大騒ぎ。その割に、後で海外では評価されていることが知れると、国民の7割が支持に回るという身の軽さ。山本七平が指摘した情況次第の倫理も、ここまで分かりやすく現実化すると滑稽さすら感じる。

本来外交とは、相手がいるなかで、いかに自国に望ましい方向へ戦略的に持ち込めたかどうかが出来不出来の分れ目だが、目指すべき戦略に対する共通認識がないこの国では、これが“常識”なのだ。

 

かすかな変化の兆し

ただし、少なくとも民主党への政権交代を望んだ国民の“声”の高まりは、不作為のリスクが高まり続けるポストモダンの状況下で、国民の中にくすぶる危機感を何らかの形で表わしていたのは間違いない。2012年の政権交代選挙においても、民主党にお灸を据えようという危うい気分も強く感じてしまったが、それだけでは済まない漠然とした焦りや不安のようなものもあったのではないだろうか。

この危機感を国民1人ひとりが引き受け、少しでも何らかの具体的な形(共有や発信の活動)つなげていくところから、この国で最初の民主主義が始まるのではないか。

「外部」へと開かれ、「空気」が変わり、「バックキャスティング」が始まる。このプロセスの鍵は、「地球環境はこれじゃもうもたない」、ならびに「日本経済はこれじゃもうもたない」という危機意識によって駆動されることです。(宮台)

我々の世代の最低の責任として、グランドデザインを描いてどんどん次の世代にバトンタッチをしていく。最終的には次の世代の人がいろんな微修正を加えながらやっていくことになるわけですけど、そのリレーが、もう始まってるのだという認識ですね。それだけは、分かってほしいと思います。(福山)



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