最貧困女子

最貧困女子 (幻冬舎新書)

貧困問題のリアル

女性の貧困問題は、2011年に国立社会保障・人口問題研究所のレポートで、「働く単身女性の3人に1人が年収114万円未満」と報告されたことでクローズアップされた。

ただ、貧困問題は様々な誤解を生み出す結果となった。働く努力が足りない。生活保護を受ければいい。結婚できないからだ等々。さらに、島田裕巳が低所得でも幸せに暮らす「プア充」の生活を明らかにすると、貧困の定義は複雑化し、貧困の深刻さが見えにくくなっていった。

しかし、2014年1月27日に「あしたが見えない~深刻化する“若年女性”の貧困~」というNHKのドキュメンタリーが放送され、そのベースとなった鈴木大介のルポである本書が書籍化されることで、ようやく貧困女子の実態が公になった。

 

貧困女子とプア充女子

本書でははじめに、勤務先が倒産し、その後都内のネットカフェで暮らす小島さんと、北関東で販売員をし、リサイクルショップやフードコートで節約して暮らす永崎さんの例が紹介される。

驚くのは、同じ年収100万円台でも、小島さんは滞納した家賃の支払いに怯えて暮らしているのに、永崎さんは貯蓄はなくても地元の仲間たちと楽しく生活しているというギャップだ。

著者は、ここに貧困に対する無理解が生まれる要因があることを指摘している。

永崎さんらにあって小島さんになかったものは、地の縁、家族の縁、安定したメンタル等々。小島さんは貧困だが、永崎さんらは貧乏。しかも貧乏でも充実している「プア充」層。この分類が明確でないからこそ、貧困に対する議論が活発になると同時に、必ず貧困者に対する逆風の世論も吹くのだ。

とは言え、小島さんの例で言えば、生活保護や失業保険など、まだ手当ての余地がある。小島さんのような貧困は、貧困に陥った理由を個人の責めに帰せず、こうしたセーフティネットを利用することが当たり前のこととして浸透させることで解決できる問題である。

しかし、著者は、さらに目も当てられない地獄でもがき苦しむ女性たちがいることを明らかにしていく。

 

貧困女子と最貧困女子の違い

著者は、貧困女子と最貧困女子の違いを「三つの無縁」として分かりやすくまとめている。

  • 家族の無縁:家族がいない、あるいは頼れる家族関係にない
  • 地域の無縁:いざというときに面倒を見てくれる地元の知り合いがいない
  • 制度の無縁:生活保護などの社会保障制度を受けられない状況にいる

これらの違いのうち、家族の無縁や地域の無縁は先ほどの小島さんにも当てはまる。しかし、DVから逃れて隠遁生活をしていたり、子どもを保護されることを恐れて社会保障制度を受けることができない層や、軽度なものを含めて精神・発達・知的障害を抱えており、保護を受ける手続きがハードルになっている層など、そもそも貧困として可視化されてすらいない貧困層がいるというのだ。

リストカットを繰り返しながらも、出会い系の売春で稼いで子どもを守るシングルマザーや、オージーやスカトロなどのエログロ系のAVに“使われる”軽度の障害者など、著者が記す克明な記録は見ていて目を背けたくなるが、これが現実なのだ。

 

最貧困少女と売春ワーク

問題なのは、こうした最貧困少女たちはセックスワークの世界に「吸引」され、貧困の状態の中に固定化されていく構造があるということだ。特に少女たちの問題は深刻だ。彼女たちは、補導に怯えずゆっくり寝られる「宿泊場所」、その宿泊や食事を確保する「現金と仕事」、現金を得るためのツールとして不可欠な「携帯電話」、そして「隣にいてくれる誰か」を求めている。著者は、ここに最貧困少女がセックスワークへと吸収されていく理由があると鋭く指摘する。

彼らの欲しい物のほとんどを、行政や福祉は与えてくれない。だが実はセックスワークは、彼女らの求めるものを彼女らの肌ざわりがいい形で、提供してくれる。これが、長期間大都市部に家出する少女らが高確率でセックスワークに吸収というか、「捕捉」される理由だ。

ただ、低所得の中でも貧困とプア充がまだら模様になっていたように、セックスワーカーの中でも、生き抜くための「サバイブ系」だけでなく、女を売る商売としての「ワーク系」、財布の中身が寂しいときの副収入としての「財布系」など、貧困=セックスワークと言えないところが彼女たちの保護を難しくしているという。

著者が紹介する「身体が売れなくなったら死ぬときだ」と語る16歳の少女のように、命の危機に直面する「サバイブ系」の存在を認識するには、より実態に足を踏み入れる必要がある。

 

この社会に足りないもの

こうした実態を目の当たりにすれば、事の深刻さは嫌でも理解できるはずだ。

ここに自己責任論など、絶対にさしはさむ余地はない。なぜなら彼女らは、その「自己」というものが既に壊れ、壊されてしまっているからだ。

しかし、最貧困少女の存在を認識し、適切に保護するには、これまでの発想を転換する必要がある。ここまで紹介してきたとおり、既存の社会保障制度が手がかりにしている年収や職業では最貧困少女を識別できず、これを続けている限り、貧困に対する的外れな批判はなくならないからだ。

著者が実体験を踏まえて提言している通り、彼女たちに必要なのは「居場所ケア」とでも言うものだ。著者は、路上生活状態にある少女が何よりも求めているのは、ひと時でも良いから何者にも怯えず何者にも自由を奪われずに「ゆっくり寝ることができる場所」であることを強調する。

その意味で、最貧困少女の保護のためにはセックスワークを認めざるを得ないかもしれない。セックスワークを認めてでも、彼女たちの命をどのように保護し、ようやくその次にどのように自立させていくかを考える順序に思い切って転換しない限り、彼女たちのジレンマに応えられない。



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