思考と行動における言語|S.I.ハヤカワ

思考と行動における言語 Language in Thought and Action: Fifth Edition

思考力を高める実践論

言葉とは、思考を表現するための道具である。しかし、言葉というのは不思議なもので、単なる道具であるはずが、現実には僕たちの思考の限界を握る極めて重要な存在である。だからこそ、言語をどのように操るか、何をわきまえなければならないかというのは、僕たちに課せられた大きなテーマである。こうした領域を研究する「言語学」や「意味論」と呼ばれる分野において古典的名著とされているのがS.I.ハヤカワの『思考と行動における言語』である。個人的にも、大学受験の英語評論文で出会って以来、たまに書棚からひっぱり出して読み返している大切な1冊だ。

著者S.I.ハヤカワが本書を通して口すっぱく協調していることは大きく2つある。ひとつは、僕たちの世界が言語によっていかに規定されているかという「言語の機能」(The Functions of Language)の話。具体的には、情報が言葉としてどのようにプール(記号化)され、それらの言葉の組み合わせ(文脈化)が僕たちの認識にどのように作用しているかという機能論である。これが第1部で語られている。

もうひとつは、言葉で物事の本質をつかむには常に批判的態度を忘れてはいけないという「言語と思考」(Language and Thought)の話。具体的には、僕たちが陥りやすい言葉のわなとして、バイアスのかかりやすい言葉の使い方(二元論等)を論じている。特に、この第2部の実践論におけるハヤカワの徹底した批判的態度は、耳に痛いほどであり、日常の思考と行動から実践していこうという彼の熱い思いが感じられる。

Ladder_of_Abstraction

言語の機能(The Functions of Language)

「地図」は「現地」ではない

ハヤカワは、まず言語で表される世界を大きく2つに区別するところからはじめる。

外在的世界(extentional world)
言語的・内在的世界(verbal world)

「外在的世界」が世の中に存在する自然物そのままのことであるのに対して、「言語的・内在的世界」は地図や記号のように、実際に対応する自然物がないことを指す。言葉によってはじめて知覚できる世界があるというのは、言葉が持つ重要な機能である一方で、地図が現地であるかのような混同を招く危険性があることをハヤカワは強調している。

報告、推論、断定

この3つを意識的に区別して使い分けられているだろうか。これらを使い分けるには、まず「報告」の要件を理解している必要がある。

1. それが実証可能でなければならない
2. できるだけ推論と断定を排除しなければならない

もちろん、全くニュートラルに物事を伝えることほど、難しいことはない。しかし、反証可能性のある事実と、それに基づく推論・断定(infer・judge)を可能な限り分けようとすることによって、はじめて物事に正しくアプローチすることができる。

感化機能への意識

言語には、「情報を送る」だけでなく「人を感化する」機能がある。これを言語を受け取る側から言い換えたのが、『情報的内包』と『感化的内包』だ。そもそも感化的内包を色づけ(slanting)した言葉である、政治的メッセージや文学表現、広告のキャッチコピー詩や俗語などは、人の心を動かすことに意識的でなければいけないが、送り手が意識せず受け手を感化させてしまうような、言語的タブーやポリティカル・コレクトネスの問題などは、特に日本人にとってリマインドしておくべきポイントだと思う。

 

言語と思考(Language and Thought)

辞書

辞書に書いてある言葉は、「報告」的な客観情報だと捉えられがちだが、言葉の定義とは、言語的文脈(前後の文章)と物理的社会的文脈(経験)でしか決めることのできない同時代的な道具であることに意識が必要だ。更に言えば、その言葉の「分類」も、あくまで“思い込み”に基づく名づけでしかない。そうしたフレームワークの限界に目を向けると、その外側に視座を広げることができる。

二値的考え方

「二値的考え方」とは、二元論的にどちらか答えの選択を迫る考え方のことだ。政治問題、経済問題、社会・世相、マーケティング、人付き合い・・・僕たちはいたるところで、無意識のうちに敵・味方の二値的考え方に陥っていることが多い。どちらが正しいのかという態度は、一見、科学的・合理的な態度のように感じやすい。しかし、僕たちは科学哲学者カール・ポパーの次のような言葉を忘れてはいけない。

理性を信頼するということは、われわれ自身の理性を信頼するということばかりでなく-さらにいっそう-他人の理性を信頼することである。(中略)合理主義は、他人もその論を聞いてもらう権利及び弁護する権利を持っている、という考え方と分ちがたく結びついている。

抽象のハシゴ

僕は思考の幅をストレッチさせたいときに、必ず「抽象のハシゴ」を意識するようにしている。「抽象のハシゴ」とは、言葉の概念に抽象から具体までのつらなりがあることを意味する。目の前にいる「ベッシー」は「牝牛」であり、より包括的に言えば「家畜」である。更に、家畜の意味を本質的に捉えれば、「資産」であり、「富」にまで抽象化できる。高いレベルの抽象を意識すると、これまで見えなかった意味合いや共通点を見つけられる。反対に、抽象論を具体論に適用し、ハシゴを下っていくことで、抽象論の妥当性・現実性を検定することができる。これはまさに戦略コンサルティングにおける基礎と全く同じだ。「人は自分の抽象レベルのこだわる傾向がある」というハヤカワの指摘は心に留めておきたい。



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