横山ロジカル・リーディング講義の実況中継

横山ロジカル・リーディング講義の実況中継―大学入試

学問の世界に踏み出す手引き

本書は東進ハイスクールをはじめ、数々の予備校でトップスクールへの合格を導いてきた横山雅彦による英語長文読解の決定版テキストだ。国立大学や、慶應大学SFCのように英語長文の難問を出題する難関校を目指すなら、間違いなく押さえておきたい1冊だ。受験テクニックをこねくり回す様々なテキストがある中で、横山先生のアプローチは全く異なる。トップスクールというのは、試験という形で受験生が学問をはじめる準備ができているのかを試している。だから、論文というものはどう読むべきか、最先端の学問は何を論じているのかを、あくまで堂々と学ぶのである。

横山ロジカル・リーディングの基本の“型”である「三角ロジック」(後述)は、受験に留まらず、学問の世界に踏み出していく上で心強い武器になる。今でも僕がこうして拙くも学問を論じることができる基礎も、奇しくもロジックを武器に経営戦略を論じるコンサルティングという商売でなんとか生きているのも、この時に学んだ“型”にあるといって間違いない(※2008年追記)。受験英語レベルなら、難なく読めるようになること請け合いだ(別冊の実践編も名作)。

そして、横山ロジカル・リーディングが僕に最も影響を与えたのは、学問がどれだけ面白いかを教えてくれたことだ。彼の講義は、受験英語のトレーニングであり、かつ僕たちが向き合わなければいけない近代主義批判に関する知への招待になっている。僕はこの講義を通してたくさんの本に出会ったし、本書をずっと大切に保管し、今でも折に触れて読み返している。

 

論文をいかに読むか 基本の“型”を知る

まず、論文をいかに読むかという英語長文読解のアプローチについて、少しだけ紹介したい。基本の“型”は「三角ロジック」という。「三角ロジック」は、claim、data、warrantという3つの要素からなる論文(説明責任を伴う議論)の最小単位である。claimは、この論文における著者の主張。dataは、claimを論証する根拠、warrantはclaimが根拠となる前提を指しており、1つのパラグラフには原則的に必ずこの3つがセットになっている。そして、節、章、論文全体では、より大きな三角ロジックで物事を論証していくのが基本構造になっている。

話が抽象的なので具体例を挙げれば、例えば「コーヒーが好きだ」と言いたいとしよう。まず「claim:コーヒーが好きだ」、「data:ワインのように味に深みがあり、眠気覚ましにもなる」、「warrant:(dataが自明なため省略)」という3つのセットが必要になる。すると、これを補足するパラグラフが自然と2つ生じる。つまり、①「ワインのように味に深みがある」というdataをclaimに据えて、「なぜどのように深みがあるか」を論証するためのdataとwarrantを示す子パラグラフ、②同様に「眠気覚ましにもなる」というdataをclaimに据えて、「なぜどのように眠気覚ましになるか」を論証するdataとwarrantを示す子パラグラフになる。

横山ロジカル・リーディングでは、この基本構造を土台に、要約の仕方や同型反復から意味を類推する方法など、論文の構造を利用した様々な英語長文読解のテクニックを教えている。このツボを徹底的な読解マラソンで習得してしまえば、トップスクールの英語長文はもとより、現代文や小論文も自然にできるようになる。僕自身、英語と現代文は全く問題がなくなった。反対に言えば、How and Why ?の論証責任を問われることの乏しい日本語の世界に生きる日本人にとって、この作法を身につけないと学問で戦っていけない。

横山ロジカル・リーディング_三角ロジック

最先端の学問は何を論じているか 近代主義批判

次に、横山ロジカル・リーディングの最も面白い近代主義批判についても、少しだけ記しておきたい。そもそも近代主義(modernism)とは何か。超端的に言えば、物事は要素に分解でき、その要素を分析すれば全体を理解できるとする還元主義(reductionism)に立脚した考え方である。還元主義は、様々な科学(自然科学だけでなく社会科学も)の系統を急激に発展させ、その科学を活用して社会は拡大してきた。その意味で、近代は僕たちの繁栄を象徴する時代であった。

しかし、現代は近代主義の限界にぶつかっている。近代主義の基盤となった還元主義は様々な処方箋をつくり出したが、そうした対症療法では解けない問題が次々に出てきている。宗教を分析対象にした宗教学が「そこに生きる人」を語る言葉を持てないジレンマに陥ったのは最たる例だし、消費社会が「終わりなき日常」に行き詰まり、自然科学の領域ですら量子論や宇宙論、脳科学などの最先端の領域では線形な決定論が通用しなくなってきた。

僕たちは、こうした限界の只中にあるポスト近代主義(post modernism)に挑戦することが求められている。トップスクールが出題する英語長文は、まさにこうした文脈を踏まえた、ジェームズ・ラブロックのガイア仮説やミルチア・エリアーデの宗教学的試みなど、これまでにない非線形のアプローチによって問題解決の糸口を探す最先端の議論である。地域研究という方法論をリードした東京外語大学院の小浪教授に師事し、糸東流空手の師範でもある横山先生は、近代主義の驕りを痛烈に批判し、知識人として弁えるべきリベラルアーツ(学際的教養)の戸口に僕たちを立たせてくれる。

 

横山先生がいつも口をすっぱくして強調していたのは、受験はあくまで学生になるための仮の姿でしかないということ。そして、早く学生(student)になって、学生たり続けることこそが大切だということだ。僕たちが格闘しなければならない知的な課題は、それこそ途方もないほど待ち受けている。答えがあるのかも分からない。それでも学問に挑もうとする受験生に対して、横山先生は「同じ学生として」気概にあふれる言葉を贈っている。

無くせない夢ならば 無くすほどの覚悟で



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