高校生のための論理思考トレーニング

高校生のための論理思考トレーニング (ちくま新書)

ロジカルに考えるための“基本思想”

いきなりだけどクイズをひとつ。あなたはデパートで父親の誕生日プレゼントを買うためにレジに並んでいる。そして、あなたが店員に「これは父の誕生日プレゼントなんです。」と伝えたとしよう。その時、店員はどんな反応をするだろうか?日本人の店員なら、即座に「どのようにラッピングいたしましょうか」とあなたの意を汲んで応じるだろう。しかし、このやりとりはアメリカ人には通じない。“Oh, that’s cool !”で終わりだ。

このように日本人とアメリカ人のやりとりに違いが生まれるのはなぜだろうか。実は、日本語と英語では「心の習慣」が根本的に異なる。一言で言えば、日本語の「ハラ芸」と、英語の「ロジック」だ。著者で英語長文読解のエキスパートである横山雅彦は、論理思考を理解する根源にあるこの違いを丁寧に解説し、日本人が論理思考を身につける上で欠かせない「ロジック」とは何かに気づかせてくれる。

あらゆる言語には、その言語特有の心の習慣がある。言語の数だけ、心の習慣があると言っていいだろう。「ロジック」とは、英語の心の習慣なのである。

ここで言う「ロジック」とは、ものごとを議論(ディベート)する基本ルールのことである。自分の意見を言えば説明責任(How and Why ?)が生じる。その際に、どんな論理構成でどうやって論証するのか。巷では「ロジカル・シンキング」が流行っているが、僕の整理として、いわゆる「ロジカル・シンキング」は、MECEにしろロジックツリーにしろ、直接的にはものごとを因数分解するツールでしかない。それに対して、そもそも議論するとはどういうことかという基本思想が、本書でいう「ロジック」だと理解している。

目次
第1章 日本人はなぜ議論が下手か
第2章 ロジックの英語、ハラ芸の日本語
第3章 現代国語はどうして生まれたのか
第4章 ロジカルトレーニング 基礎理論篇
第5章 ロジカルトレーニング アウトプット篇
第6章 ロジカルトレーニング インプット篇

 

ロジックに対する弁え

本書では、前半でこうした「心の習慣」としての違いを丁寧に解説した上で、後半は実践編として「ロジック」の本家である英語の大学入試問題で、実際に「ロジック」を読み書きする練習ができるようになっている。ここでは、まず前半の解説を紹介したい。

論理思考を身につけることは、学術にせよビジネスにせよ、フェアにものごとを議論し、科学的に問題を解決していくために現代人にとって必須の作法であることは論を俟たないだろう。しかし、裏返せば、論理思考とはあくまでそうしたシーンにおける特殊的な作法でしかないということだ。日本語のプレロジカルな「心の習慣」は僕たちにとってどんな意味を持っていたのか。本書はそうしたモードの違いを相対的に捉え直すことで、それぞれの「心の習慣」の文化的・社会的意味を捉えている。

日本語の「心の習慣」をめぐる議論は、主客一体の「なります」思想に支えられた日本語の構造、その背景にある「アメノミナカヌシ」思想やナンバの身体論、そして近代において西洋近代思想との折衷として生まれた現代文へと、著者の鋭い分析が繰り広げられていく。こうした分析は、ロジックがあたかも万能のツールとしてもてはやされる中で、ロジックで語れること/語れないことを弁える重要な議論である。また、ロジックを前提とするシステムだけがもたらされた結果、論証責任を果たさない無責任な言論が溢れるばかりの日本社会(特にインターネット)の構造的問題を捉える根本的な議論でもある。

“I notice you have a beautiful fan.”と「きれいな扇子ですね」も同じことだ。「きれいな扇子ですね」にIはない。あるとすれば、Every one(みんな)である。Every oneだからこそ、No oneである(誰でもない)。そして、No oneだからこそ、Someoneなのである(誰でもよい)。そこでイメージされているのは、自分と先生、周囲の学生たち、教室、すべてが1つに溶け込んだ暑い夏の風景全体だ。いわば「主客一体」の世界であり、「私はあなた、あなたは私」の世界なのである

 

ロジックの基本構造

後半の実践編では、英語特有の「心の習慣」を仕組みとして解き明かし、論理的に考えるための方法論を解説していく。この方法論は、「ロジカル・リーディング」として著者が体系化した英語長文読解のテクニックであり、大学受験生には『横山ロジカル・リーディング講義の実況中継』などの名著で知られている。本書では、この「ロジカル・リーディング」の方法論を、英文だけでなく和訳を用いて一般向けに紹介している。

「ロジカル・リーディング」では、意見を論証するための三角ロジックや、論証する際のロジックのパターン、相手の意見に反対する場合の作法など、様々なフレームワークが整理されている。大学受験で「ロジカル・リーディング」を学び、その後も常に参照してきた個人的な実体験として、ものごとを論理的に議論する基本的な能力は、これ一本で十分身につくこと請け合いである。「ロジカル・リーディング」が教える様々なフレームワークのうち、特に押さえるべきは①イイタイコト(claim)の明確化と、②論証責任(How and Why?)の考え方の2つだと思う。

①イイタイコト(claim)の明確化

日本語は「秘すれば花」、イイタイコトは暗に示されることが美徳とされる。仮にイイタイコトがあっても、「こういうことがあった」という事象にイイタイコトを仮託するだけで、結局最後まで直接的に意見を述べないことが多い。また反対に、本気で論証が必要なイイタイコトをいっぺんに投げつける放言も問題だ。ひとつの意見に対して議論しても、「他にこんなに悪いことがあるのに正当化する気か!」と押し切る“空気”の議論になりがちなのも日本の特徴ではないだろうか。

議論はひとつの方程式になっていなければならない。ひとつのイイタイコトがきちんと設定されてはじめて、そのイイタイコトを論証・反証するための議論の枠組みが決まるのである。だから、英語では主に演繹法で第1文にイイタイコト(claim)が置かれることが多い。また、意見は否定形で言わず、必ずnot⇒but型でイイタイコトが直接語られるのである。ここが分かると、ロジックの本場である英語の理解力が高まるのと同時に、なぜ日本人が議論できない(英語を話せない)かが納得いく。

②論証責任(How and Why?)の考え方

イイタイコトが決まったら、なぜ・どのようにそう言えるのか(How and Why?)を論証する責任が必ず発生する。この論証の枠組みを、著者は三角ロジックとしてフレームワーク化している。すなわち、イイタイコト(claim)、イイタイコトを裏付けるデータ(data)、データの背景にある社会的共通認識(warrant)の3つが揃ってはじめてロジックとして成立するのである。

詳しくは『横山ロジカル・リーディング講義の実況中継』の紹介で説明したので、そちらに譲るが、この骨太の構造を頭に叩き込んでおけば、そのバリエーションであるデータの挙げ方やロジックのパターンは慣れの問題に過ぎないと思う。具体的には、データの挙げ方で言えば、エピソード、列挙、定義・分類、因果関係、引用、時系列、対比・対象、比喩。ロジックのパターンで言えば、演繹型・帰納型・反論型(反論型のタイプとして「反駁」、「質疑」、「反論」)が紹介されている。

 

ロジックとどう向き合うか

ロジックとプレロジック。この2つの「心の習慣」に生きる僕たちのコミュニケーションは、果たしてどうなっていくのだろうか。ロジックは西欧近代が主導するグローバル社会において必須の作法であるのは間違いないし、一方でここまでの著者の議論を踏まえれば自明なとおり、日本ならではの社会性・文化性をいかに継承していくかという議論をはらんだ問題でもある。

本書は、英語教育の現場に立つ著者からの「国語力向上モデル事業」(文部科学省)に対する1つの提言・応答とも位置付けられている。現代文をベースに日本人の論理思考を強化しようという同事業は、あまりに無批判的なロジック迎合主義にすぎないのではないか。社会の底が抜けた“再帰的”な現代において、コミュニケーションを濃密にするために本当に求められていることは何だろうか。こうした「心の習慣」への眼差しに敏感になることこそ、本質的に論理思考を知るということではないだろうか。

要するに、グローバル社会における日本語とは、ハラ芸とロジックという新しいホンネとタテマエの使い分けである。



この本についてひとこと