人間以上

人間以上 (ハヤカワ文庫 SF 317) More Than Human (Vintage)

サイボーグ009の原型

幻想文学の旗手スタージョンの代表作であり、手塚治の「サイボーグ009」の原型にもなった名作。

世間からはみ出た子供たちが、様々な超能力を駆使して驚異的な存在になっていくストーリーは、

まさにサイボーグ009さながらのエンターテイメントとして面白いが、それだけでなく、

“でき損ない”のレッテルを抱えながら生きることを肯定する姿に強く胸を打たれる。

スタージョン作品は、表現の抽象度が高く、読み慣れるまではとっつきにくいかもしれないが、

シュール・レアリスティックな会話や心情描写・風景描写に徐々に馴染んでくると、

そこに込められた思いが突き刺さってくる。

 

超能力集団

主人公の子供たちは、白痴、言葉が話せない、畸形など、世間から疎ましがられる存在だった。

別々の場所で育った彼らは、互いに共鳴し合い、お互いを見つけ出して共同生活をはじめる。

彼らは、世間一般の能力に比べると劣るものの、実はその欠点を補うように特殊な能力があった。

サイコキネシス、テレポーテーション、テレキネシス、絶対計算力などを駆使し、

何とか生きのびていく様子に読者はハラハラドキドキさせられる。

 

人間以上の存在

しかし、スタージョンが秀逸なのは、この物語を単なるエンターテイメントに止めなかったことだ。

そうして何とか生きながらえていた彼らは、あることに気づき始める。

頭脳が優れた者は頭に、身体能力が秀でたものは胴体にと、ひとつの大きな人間、

つまり「人間以上」の存在になることで、新たな世界が拓けるのではないか。

そう、一人ひとりで劣る彼らは、総体として強くなるためにお互いを無自覚のうちに引き寄せていたのだ。

彼らの超絶的な能力がひとつに合わさったとき、その影響力は世界を左右する。

果たしてその行き着く先は破滅なのか。

 

存在を肯定する

この人間が集まった総体「ホモ・ゲシュタルト」は、一体何を意味しているのか。

子供たちは、彼らなりのやり方で幸せを掴もうと、必死に生き抜くのだが、

人より不器用で、弱虫で、見た目も変わっていて、どうにも中途半端な生き方しかできない

僕らも、現実にいろいろな悩みを抱え、どうしようもなさに鬱屈していないだろうか。

それでも同じような負を抱える者たちが集まり、存在を肯定することで、新しい視界が開ける。

そうした彼らの姿に救われる思いを感じるのは、僕だけではないと思う。

幼いときに両親が離婚し、サーカスを目指すもリューマチ熱の病後の心臓肥大により断念するなど、

なかなか思うようにいかなかったスタージョンの半生が本書のあとがきで明らかにされているが、

おそらく、そうした作者自身の“孤独”や“不出来な自分”というルーツが影響しているのだろう。



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