魍魎の匣

文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

匣(はこ)に巣食う魍魎

京極堂ミステリの傑作と評される2作目は、1,000ページを超える大作だ。舞台は終戦直後の東京。第1作『姑獲鳥の夏』から2ヶ月と経たないうちに事件は起きる。駅のホームから突き落とされ瀕死の重傷を負った大財閥の令嬢 柚木加奈子が、誘拐予告の直後、通称「箱館」と呼ばれる病院から忽然と姿を消したのだ。更に、それと時を同じくして、武蔵野で連続バラバラ殺人が相次いで見つかる。京極堂とは戦友の木場修太郎刑事は、事件を追いかけるうちに「穢れ封じの御筥様」という怪しげな匣(はこ)を崇拝する進行宗教集団とのかかわりに行き着くのだが・・・。

作家の関口とカストリ雑誌編集者の鳥口や、薔薇十字探偵社の榎木津など、気づかぬうちに事件の周辺に巻き込まれた彼らの話を聞いた陰陽師 京極堂は、事件の真相に魍魎が巣食っていることに気づく。

魍魎_鳥山石燕

魍魎(絵:鳥山石燕)・・・山川や木石などの精や、墓などに住む物の怪または河童などの総称

 

真相がないという真相

匣を奉る謎の宗教「御筥様」、バラバラにした手足を箱に隙間なく納める猟奇殺人を描く久保竣公、そしてある実験の完成を企む「箱館」の主 美馬作博士。本作には、様々な関係者が登場し、柚木加奈子の事件の周辺を形作っている。しかし、木場修らは、彼ら一人ひとりを追いかけるものの、事件の真相には辿り着かない。一体、この事件の根っこはどこにあるのか。

京極堂が鋭いのは、事件に分かりやすい根っこなどないことを弁えていることだ。京極堂のいつもの長講釈を聞いた関口は、このように語る。

事件は、人と人―多くの現実―の関わりから生まれる物語だ。ならば、物語の筋書き―事件の真相―もまた、関わった人の数だけあるのだ。真実は一つと云うのはまやかしに過ぎぬ。事件の真相などそれを取り巻く人間達が便宜的に作り出した最大公約数のまやかしに過ぎない。ならば京極堂の云う通り、動機もまた、便宜的に作られた一種の約束事に過ぎないのかもしれない。若しそうなら、犯罪の真相を解明することに何の意味があると云うのだ!それを未然に防ぐのならともかく、起きてしまった事件に関わることなど、大いなる無意味ではないのか。

 

憑き物落としという技法

京極堂は、こうした様々な関係者の物語をひとつの物語に再編成し、新しい現実として再提示することで、関係者たちの憑き物を落としていく。読者も、京極堂の緻密に計算された言葉の応酬に、現実を解体されてしまうだろう。そのポイントは、「秘密の暴露」という原理にある。

「秘密の暴露」とは、占いや透視・霊視の類をイメージしてもらうと分かりやすいが、こちらが知り得ないはずの(場合によっては相手さえ気づいていない)秘密を言い当てることだ。京極堂は、この“予知”の働きの本質を鋭く見抜いていく。すなわち、予知とは情報の公開順序を逆転させることで作れる。相手にまつわる事柄(=原因)を事前に調査したり、行動や態度から読み取った上で、そこから必然的に想定される秘密(=結果)のみを示せば予知になるわけだ。

 

物語をリセットすること

京極堂が明らかにするのは、匣を中心に、それを見る者が勝手に惑う不思議な物語だ。匣はただそこにあっただけなのだ。人が匣の中身を想像し、自分が望むものを見る。京極堂が、魍魎つきだと言ったのも、この構造に気づいていたからだ。魍魎とは、本来形のない妖怪をひっくるめた総称である魑魅魍魎(ちみもうりょう)を言う。しかし、僕たちはこの魍魎に分かりやすい姿を与えたくなる。そうすることで自分の理解の範囲に降ろそうとする。何かを取りこぼすことも気づかずに。

そう。動機とは世間を納得させるためにあるだけのものに過ぎない。犯罪など―こと殺人などは遍く痙攣的なもんなんだ。真実しやかにありがちな動機を並べ立てて、したり顔で犯罪に解説を加えるような行為は愚かなことだ。それがありがちであればある程犯罪は信憑性を増し、深刻であればある程世間は納得する。そんなものは幻想に過ぎない。(中略)しかし、それが何故解り易いかと云えば、ありそうもない癖に実は頻繁に彼等の中でも起きている感情と、それは同質のものだからだ。

京極堂の憑き物落としは、こうした彼らの物語をリセットする。それは、ある意味、彼らが生きている世界をぶち壊してしまうことでもある。夢から覚めた関口が最後につぶやく台詞は、この物語の解決を象徴している。

箱の中身はこんなものだったのか。



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