寝ても覚めても本の虫

寝ても覚めても本の虫 (新潮文庫)

読書家、児玉清に誘われて

2011年5月、惜しまれて亡くなった児玉清は、ご存じ稀代の読書家で知られた方だ。

本好きが高じて、英語・ドイツ語の本を原書で読んでしまったり、

蔵書が1万冊を超え、その重みで家の床を傾けてしまったりと、

まさに根っからの本好き、文字通り「寝ても覚めても本の虫」だったのだ。

僕はそんな彼から数々のエンターテイメントの世界を教えてもらい、

自分だけでは出会えなかった領域の小説との大切な出会いがたくさんあった。

シドニイ・シェルダン、ディック・フランシス、ジョン・グリシャム、トム・クランシー・・・。

彼の選ぶ小説は、必ず「読み手を楽しませるサービス精神が旺盛なもの」という信頼感があり、

どの小説も読み終われば拍手喝采の、めくるめく魅惑の世界に誘ってくれるものばかりだった。

 

児玉節の名書評

児玉清の名書評がもう読めないと思うと非常に残念だが、

本書は児玉節を懐かしむ方すべてに、いつでも楽しみを思い出させてくれる。

まさにあの「週刊ブックレビュー」(NHK)のような、愛情のこもった書評がたっぷりと詰まっている。

「いつもそばに本があった」、「本棚から世界が見える」、「わが愛しの作家たち」、

「女流作家の時代に乾杯」、「本のある日々」・・・。

こうした章立てだけ見ても、児玉清という人の本に対する愛情を感じるし、

そこで語られる話の面白さに、実際に読んでいないのに何だかワクワクしてしまう。

本好きの大先輩の肩を借りて、改めて本の面白さを再認識してみよう。

明日からアメリカン・ノベルの虜になってしまうこと、請け合いである。

 

小説を読む喜びを思い出す

彼が本を好きになったきっかけは、子どものころに読んだ「雷電為右衛門」の講談本だったという。

ヒロイックな主人公が、悪い敵役と戦い、成敗していく。

そうした痛快活劇は、後に好きになるアメリカ小説と通ずるところがある。

そして、16歳のころになると、女性への興味が膨らんだという。

このあたりを素直に語ってしまうところが、児玉氏の愛される所以である。

そんな少年児玉清を刺激したのが、徳田秋声の「縮図」。

芸者の世界を描いたこの小説に心ときめかしたのだろう。

小説の中にある小説ならではの世界に夢中になった児玉少年は、最後まで児玉少年だった。

大好きな作家の新刊書の最初の頁を開くときの喜びにまさるものはめったにない。
どんな話で、主人公はどういう人物なのか、読み始めのわくわくした気持と心のときめきは
まさに最高の気分、つくづく幸せだと思う瞬間である。



この本についてひとこと