爆笑問題の日本原論3 世界激動編

爆笑問題の日本原論〈3〉世界激動編 (幻冬舎文庫)

シリーズでも特に深刻な社会テーマ

爆笑問題のライフ・ワークとでも言うべき、日本原論シリーズの第三弾

(最近ではDVD「爆笑問題のツーショット」も、日本原論同様、大掛かりな取り組みでこちらも面白い)。

その時に旬な時事ネタを取り上げるこのシリーズ、本作は1999年から2002年までのニュースを扱っている。

爆笑問題も指摘しているように、1999年から2002年と言えば、過去にない複雑なテーマが目白押しだった。

9.11の同時多発テロと、それに端を発した“テロ対国家”の戦いという泥沼は言うまでもなく、

その他にも、JCOの臨界事故や雪印の食中毒事件など、一つひとつが現代社会において深刻なテーマだ。

こうした重い内容を、軽薄にならずに“笑い”に変えられるバランス感覚がこのシリーズのイチバンの魅力。

 

喜劇の中の悲劇

しかし、一方で笑い飛ばしながら、もう一方では事の深刻さに改めて気づかされる部分もある。

それは、これらの問題が決してハプニング的なものでなく、僕らが構造的に抱えているものだからだ。

イラク戦争は、当初は世界秩序の回復が目的だったが、いつの間にか終わりに漕ぎ着けることが最優先に。

原子力発電は、中越沖地震でリスク管理の問題構造が改めて表面化したにも関わらず、根本的解決は先送り。

食中毒問題は、あれよあれよという間に、日常食から土産物まで結局何が安全なのか分からなくなってしまった。

あたかもコントのような、現実のどうしようもないシニカルな状況に、僕らはかえって笑いを誘われるのが不思議だ。

そういえば、大田光は以前、チャップリンのこんなエピソードを紹介していた。

チャップリンが幼いころ、食肉処理場から逃げ出した羊の群れに遭遇した。

持ち主たちは慌てて羊を追いかけるが、羊は必死に逃げ、羊も人間もひっくり返る大惨事になっているようすに、

周りの人間は腹を抱えて笑った。それを見た彼は、喜劇の中には実は悲劇が潜んでいると喝破したという。

 

永遠に解決できない問題

では、僕たちはこうした矛盾に対して、どう立ち向かって生きていくべきなのだろうか。

爆笑問題がせっかく笑いに変えてくれたものを、くそ真面目に語るのもナンセンスだとは分かっているが、

ひとつ言えるのは、僕たちに求められていることは、問題構造を理解し、解決に向かうことに加えて、

問題を生み出しているのが人間自体である点を常に忘れないでいることではないだろうか。

からまった問題を解きほぐし、食中毒や原発の問題が起きにくい手を打つことはもちろん可能だし、必須だ。

これは、社会合理性・経済合理性を判断軸に、施策を比較衡量していけば必ずできる。

しかし、実はその背後には、そこに関わる人間の利害関係や、変化に対するジレンマ、他人からとやかく

言われたくない個人のアイデンティティなど、割り切れない問題に行き着いてしまうから厄介だ。

 

救いの笑い

人間は永遠に解決できない”やんごとない問題”を抱えて生きていかなければならない。

反対に言えば、人間とはその程度。それでも生きていくという態度に救いを見出すしかない。

爆笑問題は、下世話な芸能ネタも、深刻な社会テーマも、全て同じまな板の上にのせて笑いに変えることで、

そんなメッセージを伝えてくれているように思う時がある。

まぁ、熱中して読んでいる最中は笑いに笑って、そんなこと全然考える余裕もないんだけど。



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