「分衆」の誕生 ニューピープルをつかむ市場戦略とは

分衆の誕生

マーケティングを学ぶならまずコレ

20年以上に亘って生活者の定点観測を続けてきた博報堂生活総合研究所の代表的書籍。同研究所は、生活全般(暮らし向きなど)や、生活シーン(衣、食、住、遊び、働き、家族など)、社会全般(日本の行方、地球環境、国際化など)の様々な角度から、消費者の意識の変化を追い続けており、本書では戦後の変遷を辿りながら、1980年代において嗜好が多様化し、「分衆」と化した消費者像を的確な言葉で切り取っている。

この「分衆」は、コミュニティマーケティング、オムニチャネル、ビッグデータなどの現代マーケティングにおける新しいテーマの基礎をなす、消費者理解の大前提に位置づけられる概念であり、マーケティングの今を理解する上で必携の1冊だ。

 

「大衆」から「分衆」へ

消費者の今を知るために、本書はまず第二次大戦直後の消費者像から振り返っている。

戦後間もなくは、当然十分な物資もなく、“人並み”の生活を実現することが現実的な急務だった。まずは衣食住の確保があって、多少ゆとりが出てくると、今度は白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫に代表されるアメリカンウェイ・オブ・ライフにいかに追いつくかが消費者の行動を支えていたわけだ。いわゆる画一的で大量生産型の商品が、十分に消費者のニーズを満たしていた時代である。

しかし、三種の神器が普及し、3Cまで行き渡った1980年代になってくると、「他人並み」が満たされた消費者たちが、今度は「自分並み」を満たす消費に移っていく。つまり、家族単位で物を買うから自分の好きなものを買うへ、ニーズは個人単位化していったわけだ。

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つかみにくい「分衆」の顔

ただし、重要なポイントは、個人単位化とは必ずしも1人1人ではないということだ。その時々に応じて、バラバラにもなれば圧倒的なマスにもなる、浮動票的な存在に本質がある。ご当地アイドルにそれぞれコアなファンがつき、それと並行してパズドラが国民的ブームになる。このような顔の見えにくくなった消費者を、著者はうまい言い方で表現している。

人々も気体分子のように浮遊しており、その位置を確定できない。時々パルスが流れた瞬間、浮遊する個はネットワークを組む。分衆とは、いわばその瞬間的なネットワークである。

 

分衆を色分けする6つのタイプ

では一体、この「瞬間的なネットワーク」はどのようなメカニズムで形成されているのだろうか。コミュニケーション論の代表的な仮説として、ラザーズフェルドが提唱したコミュニケーションの「2段階の流れ仮説」(オピニオンリーダーから大衆へ)があるが、本書ではより精密に、消費者の顔が見えるところまで噛み砕いてメカニズムを読み解いていく。そのポイントとなるフレームワークが、分衆を6つのタイプに色分けしたものである。

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本書では、調査で明らかになった、それぞれの「型」に当てはまる消費者像(性別、学歴、年収、趣味、好みなど)を具体的に示されており、「理論確信型」や「我が道を行く型」が開拓した最新トレンドを、「中流確信型」や「スタイル先行型」が引き継ぎ、「もの言わぬ庶民型」に波及していくという抽象的なメカニズムをリアルに理解することができる。また、「理論確信型」や「我が道を行く型」であっても、学歴や知識に関しては他人の目を気にする傾向を強く有している点など、細かな機微まで捉えているところもニクい。

 

「ニュープア」と「ニューリッチ」

本書は、「ニュープア」と「ニューリッチ」の観点から、さらに近年の消費者像を具体化していく。ポイントは、衣食住の貧富ではなく、生活のゆとりの貧富という新しい観点に基づく区分である。「ニュープア」というのは、ある程度の収入は得ているものの、教育費や住宅ローンなどで生活にゆとりがないと感じている層を指す。当座は凌いでいるけれど、将来に漠然とした不安がある。一方の「ニューリッチ」は、一定の収入があり、かつその一定部分を貯蓄に回せる層を指す。

ここから、「ニューリッチ」は生活のゆとりがあるので、高感度な高級品を難なく購入できる一方、大多数の「ニュープア」は、心理的に金銭にシビアになりがちで、とはいえ良いものが欲しい中で、「ニュープア商品」(=高級品-過剰品質+高感度)に辿り着く構造を明らかにしている。「ニュープア商品」とは、言い換えれば「自分寄り」(独自さが感じられる)かつ「興奮度が高い」(世間の目から見ても一定の価値が認められている)ことである。いわゆるメジャーなヒット商品って、確かにこうした「ニュープア」の条件を満たしている。

 

短命化する消費社会の未来とは

本書の分析はさらに続くが、こうして近代の消費社会を眺めてくると、消費者のマジョリティ層のアイデンティティは、消費社会の側に与えられていることに気付かされる。消費者が求める情報も、ハウツー、モノシリ、ライフ、ヤジウマが主流にあるという昨今、消費社会が与えてくれるアイデンティティは、明らかに短命化していると言わざるを得ない。

「これいいじゃん」という“こだわり”が1年も続かないとなれば、そこにコミットする理由はなくなり、消費者は、毎日を“とりあえず”の選択で過ごす「終わりなき日常」に突入していく。分衆は分衆で不可逆のトレンドとしてしっかり認識したうえで、消費者を社会(集団)に巻き込む視点で、いかに人々がコミットしたくなるプラットフォームを提供できるか。この点が、マーケティングを長続きさせるためにも重要な論点になってくるのではないかと感じる。



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