日本の思想

日本の思想 (岩波新書)

丸山真男を未だに乗り越えられない日本

丸山真男が1961年に発表した『日本の思想』は、現在においても読み継がれている。この国の行き詰まりのモヤモヤを抱える僕たちにとって、日本の思想が今も「貧弱」のままで放置され続けている根源的な問題を的確に切り取った、本書の言葉がささるからだろう。50年を経た今でも、自分の中に定点的な思想を持つことができないままでいる日本。そんな僕らが、主体的に国家と向き合っていくための共通認識を形成することはできるのか。はたまた、これからもズルズルと所在のない「空気」の社会を続けていくのだろうか。

よく「『日本の思想』は難しい」と言われるが、個人的には丸山は日本社会を理解する分かりやすいキーワードをたくさん残した名コピーライターのような存在だと思う。本書もポイントさえ押さえれば、丸山社会学、そして現代社会学全体を理解するのにむしろ手軽な入門書だと思う。

icon_4499

Japan designed by James Christopher from the Noun Project

勧善懲悪イデオロギー

日本の思想をもっとも特徴づけるもの、丸山はそれを「勧善懲悪イデオロギー」と名付けた。「勧善懲悪」と言えば水戸黄門。要は、「善人からは善事が、悪人からは悪事が流れ出す」世界観だ。冷静に考えれば、良い人・悪い人というのは結果であって、そんな絶対性は存在しないのだが、徳川時代から続く「である」という事実性(⇔「する」という主体性)に慣れ親しんできた僕たちは、何事も「良い人はいい」というトートロジーで済ませてきたというわけだ。

徳川時代ならいざ知らず、国家観に対する良い悪いのコンセンサスが自明でなくなった近代において、「勧善懲悪イデオロギー」は、分かりやすい(短絡的な)良い悪いに対する国民の噴き上がりなり下がってしまうことは、当然のなりゆきではないだろうか。

まず先に法律や制度の建て前があってそれが生活のなかに降りてくるという実感が強く根を張っていて、その逆に、私たちの生活と経験を通じて一定の法や制度の設立を要求しまたはそれを改めていくという発想は容易にひろがらない。ありとあらゆる時代の観念や思想に否応なく相互関連性を与え、すべての思想的立場がそれとの関係で―否定を通じてでも―自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当る思想的伝統はわが国には形成されなかった。

 

作為の契機の不在

天皇制というのは、そうした思想傾向と非常に相性のいい制度だったと言える。国民が空気的な良い悪い以外に客観的に位置づける固定倫理のない状況において、伊藤博文は「我国二在テ機軸トスヘキハ、独リ皇室アルノミ」(清水伸『帝国憲法制定会議』)と、がらんどうの国家秩序を観念的な精神的機軸で収拾しようと考えたのは、日本の思想的傾向に対する丸山の指摘を踏まえると、まさに的を射た判断だったわけだ。

もちろん、こうした伊藤の判断は、あくまで日本国が自らを主体的に位置づける座標軸を獲得するまでの「あえて」のものだったが、この国は皮肉にも、天皇すら絶対的な「良い人」のバリエーションのひとつとして、「勧善懲悪イデオロギー」の中に回収しただけだった。今の日本の思想的状況も、こうした構造の延長線のまま、権力の正当性の根拠を不断に問うような源泉(「作為の契機」)を欠いたままなのではないだろうか。

日本自身はクローズド・ソサエティのように横に等質的なコミュニケーションがなくて、かえってそれぞれの集団がそれぞれのルートで、外のインターナショナルなルートとつながっている、という非常に奇妙な状況が見られる。そういうところですからいわゆるナショナル・インタレストというものが、はっきりした一つのイメージを国民の間に結ばないのは当然。

きわめて大ざっぱにいえばこういうタコツボ化した組織体の間をつないで国民的意識の統一を確保していたものが天皇制であり、とくに義務教育や軍隊教育を通じて注入された「臣民」意識でした。こういうむすび目がほぐれてしまうと、共通の言語、共通のカルチュアを作り出す要素としては何といってもマス・コミが圧倒的な力をもつということになります。

 

「である」論理から「する」論理へ

丸山は、このように日本の思想的弱点を、徹底的に、とことん批判する。それは、彼が「問題はどこまでも超近代と前近代とが独特に結合している日本の「近代」の性格を私達自身が知ることにある」と強く信じていたからだ。丸山の批判を受けて僕たちに求められるのは、受動的な事実性に基づく「である」論理を超えて、自らを歴史や共生といった価値の中に位置づける作業(「する」論理)に踏み込むことである。これは、決して抽象的なコトバ遊びではなく、普段の思想的実践の積み重ねだと思う。僕たちが思想的怠け癖に自覚する上で、常に頭の片隅に置いておきたい警句として、

最後に、丸山が指摘する座標軸不在による5つの弊害を紹介したい。

● イデオロギー一般の嫌悪あるいは侮蔑
● 推論的解釈を拒否して「直接」対象に参入する態度
● 手応えの確な感覚的日常経験にだけ明晰な世界をみとめる考え方
● 論敵のポーズや言行不一致の摘発によって相手の信憑性を引下げる批判様式
● 歴史における理性的なものを一括して「公式」=牽強付会として反撥する思考



この本についてひとこと