僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか

僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 (幻冬舎新書)

この国の議論はほとんどがダメ出し

メディアや巷間では、様々な政治的・社会的問題が毎日のように取り上げられ、その不正さや首尾一貫性のなさ、無駄遣いなどに強い憤りが表明されている。僕個人もそうした問題を目の前にすれば、当然そのダメさを糾弾したくなる。しかし、その度に思うのは、問題の多くは今に始まったことではないという事実だ。政府、官僚、大企業にダメを出したところで、何十年もこの国は変わらなかったのだ。

なぜダメ出しのプレッシャーだけでは物事を変えられなかったのだろうか。著者で評論家の荻上チキは、日本が抱えるどん詰まり構造を改めて読者と共有し、問題解決の観点で見たときに、ダメ出しだけではどこに限界があるのかを明らかにする。

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“ダメ出し”の限界から学ぶ“ポジ出し”のヒント

著者は本書の前半を割いて、ダメ出しの限界を3つの観点で指摘している。

ここ20年、僕らは政治が代わり映えしないことによる閉塞感をずっと抱え続けてきた。その原因は、選挙の際によく言われるように、任せたいリーダー不在のせいだろうか。著者は、かつてのバラマキ政治が不可能になり、予算の削り合いの中で、政治自体が限られた選択肢で国民にすっきり感を与える戦略を選びがちな構造になっていることを示し、僕らにそうした前提を踏まえた政治の吟味が必要であることを説いていく。

社会保障のために消費税増税は必要か否か。この問いは、非常にミスリーディングだ。この問いには、経済が低成長で、かつ少子高齢化で社会保障費が重くなっていくので、国民は公平に負担することが避けられないことが暗黙の了解として隠されている。そうして、それ自体が思考の前提になり、成長を望まず身の丈に合った生活が好まれたり、足の引っ張り合いや依怙贔屓への噴き上がりになったりと、物事は本末転倒していく。しかし本当の問題は、増税や、良くて歳出削減や更なる借金という選択肢のどれを選ぶかではなく、そもそも経済成長や効率化は取り得ないのかに目を向けることにあるのではないか。

もうひとつ重要な視点として、政策が必ずしも国民益(国民に対する厚生(利益・満足度))に結びつかないということも、常識として知っておく必要がある。著者は、政治家や霞が関官僚のインセンティブ構造から、彼らがいかに合理的に「党益」や「省益」に適った行動をするのかをもう一度確認し、さらにメディアが大本営発表を垂れ流す体たらくな状況を踏まえ、読者にチェックの目としてのレベルアップを求める。彼らの利害構造を踏まえた上で、誰にどう働きかけていくべきかのリテラシーである。

 

“ポジ出し”は誰にでもできるのがミソ

以上のように、本書前半を通して、読者はこの国を変える行動の基礎となる正しい事実認識とコーザリティに着目する社会疫学的な思考の勘所をつかむことができる構成になっている。これを受け、本書後半では、具体的にこの国を変える行動(=“ポジ出し”)の技術に論を進めていく。

一番重要なポイントは、スマート・デモクラシーを厭わないことだ。一見軽薄な、薄く広くの政治参加であっても、最終的にストロング・デモクラシーを実現できるなら超OK。こうした、政治参加のハードルを下げることで誰もが“ポジ出し”をしていけるという著者の呼びかけは、新しい積極的な問題解決のあり方として、ソーシャルメディアを通して実際に広く受け入れられつつある。

スラックティビズム(自己満足)にならないよう注意を払いながら、とにかくシングルイシューからでも「コレヤレ型」の提案のできるセミプロ領域を作っていくこと。なるほどね。

 



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