酒場歳時記

酒場歳時記 (生活人新書)

人間学スポットとしての酒場

BS TBSで放送されている「吉田類の酒場放浪記」は、僕の特に好きな番組だ。酒場詩人を名乗る吉田類が、東京の下町を中心に、昔ながらの大衆酒場を訪れては、マスターや女将、常連の客たちと、おいしい酒やつまみを楽しむ。いわゆるグルメ番組のように、形どおりのグルメレポートをすることなんてない。とにかく楽しく酒を飲み、思い思いに集まった面々とひとしきり語らい、長っ尻にならないところで切り上げて、次の店を求めて夜の街に消えていく。

はじめてみると気持ちよく酔っ払っている気ままさに面食らうかもしれないが、彼独特の観察スタイルは、人間模様が垣間見える酒場という場の不思議な魅力を切り取るのにぴったり。本書は、そんな吉田類の酒場観察をもっと楽しめる1冊だ。

東京は酒場の宝庫であり、多種多様の顔がある。地下鉄を乗り換え、街を歩き、横丁に入る。酒と出会い、人に出会う。発見と喜びがあり、別れがある。それは、酒場を巡る四季であり、世相を反映したレアな人間学スポットなのだ。

下町の酒場クローリング

本書には、吉田類お気に入りの深川や中央沿線の酒場を中心に、酒場のたしなみ方、心に残るエピソード、おいしい酒とつまみの話などが詰まっている。

僕の馴染みの街だけでも、八丁堀「マル」、茅場町「ニューカヤバ」、月島「魚仁」、勝鬨「かねます」、虎ノ門は「鈴伝」など、その人情味溢れる雰囲気に今すぐ訪れたくなる。また、僕がこれから開拓しようと思っている深川については特に詳しく紹介されており、社会の表も裏もひっくるめて、歴史の重みを感じさせるディープな街に吸い寄せられそうになる。

神田川沿いの緑道を利用し、源流の井の頭公園へと軽いサイクリングのつもりで出かけた八月のある日。吉祥寺の「いせや」から酒場ルートへコースを変え、荻窪の「やき家」、高円寺駅北口の「七助」と二軒の立ち飲み屋へ寄り、中野の「八千代」経由で中野通りを帰路とした。渇いて潤し、醒めて渇くの悪循環。サイクリングは酒場クローリングにスライドし、過去二十年の間に覚えのなかった二日酔いの朝を迎えた。

 

酒場を楽しむための薀蓄

また、この本を面白くしているのは、酒場に関する様々な薀蓄だ。例えば、今や再ブームとなった下町の定番「ハイボール」のルーツを知っているだろうか。下町のハイボールと言えば、焼酎を炭酸ソーダで割った飲み物だが、焼酎のクセをなくし、大衆の飲み物としてブームを作ったのは、天羽商店が開発した「謎のエキス」があってこそだということをご存知だろうか。その他にも、立ち飲み屋の歴史や、酒場の定番「煮込み」を巡る考察など、飲兵衛にはたまらない酒場を楽しむための情報が満載だ。

酒を好み、酒場を楽しみ、時に深酒を悔やむ朝があっても、「よしっ、やるぞ」と心に喝をいれて一日を乗り切っている人。あるいは、公園で出会った子猫にそっとさよならを告げるような人。そんな温もりのある手に触れてもらえたら、この書は嬉しさのあまりブルブルと震えるに違いないのです。



この本についてひとこと