科学革命の構造

科学革命の構造 The Structure of Scientific Revolutions

本当のパラダイム論

トマス・クーンは、カール・ポパーと双璧をなす、20世紀の科学哲学における巨人である。

彼は、本書『科学革命の構造』の中で、パラダイム論という画期的な議論を展開した。

今ではクーンが想定した意味を外れ、“旧弊”のシノニムのように使われている“パラダイム”という言葉だが、

この言葉は、僕らの認識モデルがシフトするダイナミズムを見事に捉えた現代哲学におけるキーワードだ。

クーンの語り口は、だからこそ誤解を生んでしまった側面もあるが、非常に平易で、読みやすい。

今改めて彼の意図に耳を傾けることは、粗い理解の中で取りこぼしていたパラダイム論の本質に気付き、

僕らを取り巻く世界に対する理解を深める上で、より視野の広い態度を獲得するきっかけになると思う。

 

パラダイム論の概観:通常科学

先にも触れたとおり、“パラダイム”は一般に、“考え方”や“物の見方”の同義語として用いられる

きらいがあり、旧弊から脱することを、パラダイムの転換(=イノベーション)と呼んだりするが、

原義としては、このように定義されている。

一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるもの

ある時代における占星術や、現代における相対性理論のような、

同時代人にとっての思考や行動のディシプリンとなるもののことである。

クーンは、こうしたパラダイムの範囲で行われる研究を“通常科学”と呼んだ。

僕らは普段、この“通常科学”を学ぶことによって、世の中の事態を認識しようとしているわけである。

科学というのは、基本的にはそうした教科書的一貫性のもとに累積されてきた歴史である。

 

パラダイム論の概観:異常科学

一方で、過去の観察、信条のうちの「科学的」要素と、先人たちが簡単に「誤り」とか「迷信」とかいって

片付けてしまったものとを区別することが、ますます難しくなる瞬間が訪れることがある。

このことを実感するには、本書で取り上げられている「ブルーナーとポストマンの実験」が分かりやすい。

この実験は、トランプを用い、被験者に一瞬だけトランプを1枚見せ、数字とマークを答えさせるものだ。

ここに、通常は存在しない“黒いハート”や“赤いスペード”を混ぜておくと、どうなるか。

被験者は、通常のトランプだと信じているため、黒を見るとスペードかクローバーと誤解してしまうが、

こうした異常なカードの出現率が高まるにつれ、徐々に数字とマークを正確に答えられるようになる。

コペルニクスやニュートン、アインシュタインらの大発見も、この異常なカードだと考えると分かりやすい。

こうした異常なカードが適応する事実が積み重なり、これまでの前提に大どんでん返しが起きることを、

クーンは“パラダイム・シフト”と呼んだ。

パラダイムが変わる時には、問題も回答も共にその正当性を決める基準に重要な変化が生じる

 

トマス・クーンとカール・ポパー

最後に、少しマニアックだが必ず議論になる、クーンとポパーの違いについて触れたいと思う。

クーンは、僕らが“パラダイム・シフト”に気付くきっかけを、人間の“直観”に求めた。

この点は、カール・ポパーが反証可能性の議論の中で言及した“直観”(帰納的飛躍)と似ているが、

クーン自身は、ポパーのそれとは異なるとして、以下のように主張している。

個々の理論が事実と適合するかどうかの問題については厳密な答は存在しない。
しかし、そのような問いは複数の理論を全体として、あるいは対として取り上げるときには可能である。
二つの現実的に対立する理論のどちらが事実によりよく適合するか、と問うことには大きな意味がある。

つまり、ポパーの反証可能性命題における直観は、あくまで個別の仮説に関する問いなのに対し、

クーンのパラダイム論における直観は、仮説の前提となっている世界観全体に対する問いなのだ。

その意味で、僕は両者の理論が必ずしも相反するものでなく、マクロ・ミクロの関係として捉えている。



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