大停滞

大停滞 The Great Stagnation: How America Ate All the Low-Hanging Fruit of Modern History, Got Sick, and Will(Eventually) Feel Better

古くて新しいイノベーションを巡る議論

本書は2011年にアメリカで最も話題となった経済書で、既に読まれた方も多いかもしれない。ジョージ・メイソン大学教授で、アルファブロガーである著者タイラー・コーエンの主張は明快だ。それは、僕たちは既に「容易に収穫できる」イノベーションの果実を食べつくしてしまったという事実を正確に受け止めるべきだ、ということだ。

少なくともあと数年、もしかするともっと長い間、テクノロジーの進歩は比較的緩やかなものにとどまるだろう。そもそも人類の歴史を通じて、安定したペースでイノベーションが生まれ続けたことはないし、将来のイノベーションのペースを容易に予測できたこともない。過大な期待を抱いてはならない。私たちは「新しい現実(ニュー・ノーマル)」の時代に生きているのだ。

本書を読みはじめたときは、必ずしも「新しくない」この主張がなぜ話題になったのか理解できなかった。いろいろな書評を見ていても、自分の肌感覚に合うから肯定する人と、リカードやハンセンの長期停滞論の繰り返しに過ぎないから否定する人に分かれるだけで、「ここが新しい!」という議論がほとんど見られなかった。

では、本書はこれまでの議論をなぞるだけで、「新しい」発見はないのだろうか。じっくり読み進めると、イノベーションの“質”が変わったことを的確に指摘している点で、実は「新しい」議論を読者に投げかけているのではないかと気づいた。

 

「容易に収穫できる果実」の喪失

著者はまず、アメリカのこれまでの成長は3つのファクターの存在に支えられていたと考える。

フロンティアが開拓され、テレビ・冷蔵庫・洗濯機のような大衆型プロダクトも一通り発明され、大学への進学率も一定程度底上げされたことで、分かりやすいフリーランチ(0⇒1)を見つけるのが困難になったという議論は、常識的にうなづけるところだ。

しかし、著者の議論が面白いのは、ここからもう一歩踏み込んで、次なるイノベーションのありかについて3つの観点で考察を進めたことだ。

1. 現代のイノベーションは一部の人が利益を享受する私的財の性格が強い
2. 政府・医療・教育のイノベーションは過大評価されている
3. インターネット型のイノベーションは目に見える成長に結びつきにくい

 

1. 私的財としてのイノベーション

ファンドビジネスやオンラインサービスなど、現在においても成長を続けるビジネスは、限られた少数の者が市場を独占する構造を生みやすい。知的財産を囲い込み、グローバルベースで規模の経済やネットワーク外部性を働かせ、圧倒的な強者の構造を作り出しやすい環境にある。

もちろん、独占の構造を作ること自体、ビジネスの本質として当然のことだ。問題は、こうした構造がより先鋭化することで、イノベーション=みんなの幸せという構図が崩れてきたという点にある。

イノベーションの主な対象が公共財から私的財に移行した。このひとことに、現在の“大停滞”を生み出しているメカニズムが凝縮されている。今日のマクロ経済の三つの主要な出来事―所得格差の拡大、世帯所得の伸び悩み、そして金融危機―はすべて、この現象の産物として位置づけられる。

2. 政府・医療・教育への過大評価

著者は、これら3つの部門における生産性やGDPの増大がまやかしに過ぎないという“不都合な事実”を読者の目の当たりにしていく。政府は、支出した額がGDPの増大になるため、支出を増やした際の効果の低減が考慮されないまま、あたかもGDPに貢献しているかのように錯覚しやすいし、医療は、他国に比して、投資に見合うほど余命や乳児死亡率が改善していない。教育も、教育予算が2倍になっても学力水準が上がったわけでもない。少なくとも、これらの部門のイノベーションは効果がある「かもしれない」程度のものだという著者の表現が正確だと思う。

この三つの部門では、「商品」の質と成果が過大評価されていると言えるだろう。言い換えれば、おそらく投資に見合う成果を回収できていない。生産性やGDPの数値が示すより、私たちはずっと貧しい可能性が高い。少なくとも、どの程度の成果を得られているのか把握できていないことは間違いない。それだけでも、十分に不安をかき立てられる。なにしろ、数字で表せる価値を生み出しづらく、成果を明確に把握できない産業に経済の牽引役を頼っているのだ。

3. インターネット型のイノベーションの形

エリック・ブリニョルフソンの『機械との競争』でも話題になったテーマだが、現代のイノベーションは、人間の雇用を必ずしも必要としないものだということは明らかだ。著者はこの現象に対し、単に機械が人間の労働に取って代わるという労働集約的な単純化された議論だけでなく、僕たちの消費価値の変化に対しても議論している。

“容易に収穫できる果実”はいまもあるが、昔とは果実の性格が変わった。その結果、幸せや人間的成長を得ることには楽観的になれるが、収入を得たり、債務を返済したりすることには悲観的にならざるをえなくなった。イノベーションは止まっていないが、昔と異なる形で、あまり予想されていなかった分野でイノベーションが起きるようになったのである。それなのに、私たちは昔の計画を変更せず、古いやり方を改めようとしない。新しいイノベーションも、旧来のイノベーションと大筋で同じだという前提に立っている。

 

出口はどこにあるのか?

では、僕たちが社会全体として大停滞から抜け出すことは可能なのだろうか。この点に関して、著者は次の3つの兆候に触れたに過ぎず、だいぶ尻切れの感がある。

● イノベーションの需要者・供給者としてのインドと中国
● インターネットが従来より収入を生むようになる可能性
● 教育の質を高める改革に対する世論の高まり

しかし、また成長は戻ってくるという「嘘や誇張」を疑い、「理性と科学」で物事を判断しようという著者の提言は、頼りになるものを安易に探しがちな日本にとって重要な指摘だ。特に政治において、実質所得の急速な上昇を有権者に約束するには、「減税効果の誇張」か「再分配効果の誇張」しか残されていないという現実を受け止め、その上で何ができるかを考えなければいけない。

この先も、科学の進歩が停滞するときがあるだろう。深刻な停滞に陥る時期もあるに違いない。それでも、理性と科学の重要性はこれまでになく高まっている。なによりも、現在の難しい状況をもっと理性的に、そしてもっと科学的に理解できれば、知的な面でも情緒的な面でも困難に対処しやすくなる。



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