The Quest: History and Meaning in Religion

The Quest: History and Meaning in Religion (Midway Reprint)

“学問”としての宗教を問い直す

本書は20世紀を代表する宗教学者ミルチア・エリアーデが、宗教学の存在意義を論じた論文集だ。

宗教学の歴史や宗教学のアプローチを紐解くことで、宗教学が果たすべき役割と現状とのギャップを

熱意をこめて徹底的に明らかにした本書は、専門家のみならず、初学者にとっても

宗教学というものの根本思想を理解する重要な手立てになると思う。

著者は、本書を通じて“宗教学のアイデンティティ”を問う2つの問いを設定している。

  • これまでの宗教学は、宗教をいかに扱ってきたか
    そのアプローチで取りこぼしたことは何か
  • 本来あるべき宗教学とは何か
    宗教の当事者ではない立場から宗教をどのように読み解くべきか

 

宗教の信仰者ではなく、宗教を学問として追究するというア・プリオリな足かせを超えて、

宗教の深淵に迫ろうとするエリアーデの宗教に対する熱意が強く印象に残った。

 

宗教”学”の限界

著者が最も危惧しているのは、宗教を還元主義的(reductionistic)に扱うことである。

これまでの宗教学(宗教現象学・宗教歴史学)は、単純に言ってしまえば、

過去の2次文献に基づいたX次文献を世に出すことが目的化しがちなところがあった。

そうすると、宗教論議は宗教生活の実態と徐々に乖離し、宗教実態を離れた存在になってしまう。

もちろん、精密な文献研究に基づいた科学的検証は必要なのだが、

人間の実存を扱う学問として、その限界を超えてすべきことがあるのではないか。

著者は、この問題意識について次のように語っている。

For, if the “phenomenologists” are interested in the meaning of religious data,
the historians”, on their side, attempt to show how these meanings have been
experienced and lived in the various cultures and historical moments,
how they have been transformed, enriched, or impoverished in the course of history.

But if we are to avoid sinking back into an obsolete “reductionism“,
this history of religious meanings must always be regarded as forming part of
the history of the human spirit.

 

今に受け継がれている記憶を辿る

では、宗教学は一体、どのように宗教実態にアプローチできるのだろうか。

ここでは、エリアーデの提言の要旨を的確に表現している京極夏彦の作品の一節を紹介しよう。

文中の「民俗学」を「宗教学」と置き換えて考えれば、まさにエリアーデのメッセージになる。

民俗学と云う学問は、人人の記憶を頼りにして組み上げられています。・・・中略・・・
何故そうするのか、どうしてそうなったのかを想像し検証して行く、民俗学とはそうした学問です。
私達日本人が何故今のような暮らし方、考え方をするようになったのか―
現在の様様なあり方から過去を照射することでそれを探るのが、民俗学だと云えるでしょう。
これは、今に受け継がれている記憶を辿る学問なのです。(『邪魅の雫』)

その心を、僕は“スターティングポイントは「現在」に”と呼んでいる。

現在に生きる人々の世界観の根っこ(果)が、どのような過去の文脈(因)に支えられているのか。

過去から論を始めて、それを現在に当てはめるのではなく、出発点を180度転回しなければならない。

現在に表出する“果”に対して、僕たちが何を“因”と認識し、それはどのような“縁”によって結ばれたのか。

実態を出発点に議論しない限り、一方的でプロヴィンシャルな価値判断を無理に当てはめることになる。

このような発想の転回は、普遍的に妥当する宗教学の統一論的なものを諦めることなのかもしれない。

一方で、“そこに生きる人”の視点からすると、生を“まるごと”理解する統一論的とも言えるのではないか。



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