ガープの世界

ガープの世界〈上〉 (新潮文庫) The World According To Garp

ダメ人間の世界

『ガープの物語』には、不器用で、些細なことで一喜一憂する痛ましい人物がたくさん登場する。吃音がひどかったり、人間不信だったり、時には暴力的だったりと、どうしてここまでダメなんだという人々のドタバタ劇に、読者ははじめ、この物語は何を言いたいのだろうと面食らうかもしれない。

しかし、そんな不条理の中でもどこかでキラキラした人生の輝きを見せる彼らの姿を見ていると、ダメでもいいんだという肯定感、大げさに言うと“それでも生きていく積極的な意味”のようなものを感じさせてくれる瞬間がある。それこそが、アーヴィング小説の醍醐味ではないかと思う。

『ホテル・ニューハンプシャー』や『サイダーハウス・ルール』に続く、今やアメリカの伝統文学を代表する彼が、初期の実験的な作品から新たな道を切り開いていく第一歩となった作品としても記念すべき物語である。

 

ガープの誕生から死まで

物語はT・S・ガープ誕生の秘密から始まる。看護師をしていたジェニー・フィールズは、子供は欲しいが子作り以外の肉体関係に対する強い拒絶感を持った女性だった。そんな彼女にとって、ある時、戦争で受けた怪我によって意識不明になっていた三等曹長のガープは、夫婦という関係を持たず子供を作るいいきっかけになった。なんと、彼女は意識のないガープ三等曹長とセックスすることで、T・S・ガープを生んだのだった。

物語の序章では、こうして始まった奇妙な母子の牧歌的な家族生活が描かれていく。やがて(作者アーヴィング同様に)レスリングに熱中する逞しい青年に成長したガープは、コーチの娘ヘレン・ホームと出合い、「本物の作家と結婚したい」という彼女の言葉で作家になることを決意し、ジェニーと一緒にウィーンに渡り、文章修行を始める。しかし、滞在中にジェニーが出版した自伝的小説『性の容疑者』が大ベストセラーになり、彼女はフェミニズム運動のシンボルと化していった。

 

悲しいコメディ

物語の後半は、さらにドタバタ劇が加速していく。妻ヘレンに代わって家事、育児をこなす専業主夫になったガープは、平穏な日々を過ごしていたが、ヘレンが浮気相手と車の中で情事を致しているところに、2人の子供を乗せた車で突っ込んでしまう。ヘレンはその拍子に浮気相手の性器を噛み切り、長男も右眼を失い、次男は死亡する大惨事だった。

しかし、この悲惨な出来事を乗り越えるべく、ガープは創作に打ち込み、強姦、暴力をテーマにした小説を発表すると、大ベストセラーとなって作家として大成してしまうのだ。結果的に地位と名誉を掴んだかと思った束の間、今度は母ジェニーがフェミニズム運動を憎む男に撃ち殺されると、ガープ自身も初体験の相手の妹によって殺されてしまう。このカオスのような物語が意味するものは、一体何なのだろうか。

 

不器用さの肯定

そのヒントは、作中で紹介されるガープの著作にある。彼は、妻や子供に嫉妬し、父としての自覚を感じながらも、不器用にしか付き合えなかった。また、作家としての母の存在があまりにも大きく、自分の存在をうまく肯定できないまま、最後まで自己投影としてしか小説を描くことができなかった。彼の小説には、そうした悩みを抱えながらも生きていくガープの思いが映し出されている。

悩みに悩みながら、それでも生きることの方に力点を置いているガープの姿は、読者に「それでも生きていればいいんだよ」と言っているような気がしてならない。ガープの世界に登場する人物はみな不安定で、誰も特別いい人ではなく、むしろ時に暴力的だったり時にセンチメンタルだったりする。それこそが僕ら人間の自然な姿ではないだろうか。そんなどっちつかずな姿をさらけ出したガープに不思議と魅かれてしまうのだ。

「それはねえ、死んだ人間をよみがえらせようとすることと似ているんだよ」とガープはいった。「いやいや、そういう言い方は正しくないな───むしろ、だれもかれもを永遠に生かしておこうと努めることさ。最後には死んでしまう者すら、ね。そういう人間こそ、生かしておいてやりたい一番重要な人間なんだ」。



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