eの悲劇 IT革命の光と影

eの悲劇 (講談社文庫)

「勝ち組と負け組」などという言葉が使われるようになったのは、いったいいつごろからなのだろう。

無残に切り落とされ、痛々しい切り口をさらしている躑躅を見ながら、私はあらためて思わずにはいられなかった。

著者で元投資銀行員の幸田真音氏は、本書のあとがきでこのように語っている。

投資銀行といえば、生き馬の目を抜く競争原理の最前線にいる代表のような業界であるが、

その環境に身を置いたからこそ、そこに生きる人間の生々しさを、経済原理に対するナイーブな拒絶でない形で描けるのだろう。

経済的な物差しとして「勝ち組と負け組」が存在するのは、それ自体否定するものではない厳然たる事実であって、

その物差しと平行して、人間らしさを測る無数の物差しがあることに気づく方が、人間として積極的になれる。

著者は、本書の主人公、元外資系証券マンで現警備員の「篠山」に、その思いを込めている。

 

この物語は、篠山が警備員として派遣された先である、ベンチャー企業や銀行を主な舞台としている。

時代はタイトルの通り、2000年前後のインターネットバブル全盛期で、ベンチャーの寵児たちが持て囃されていた頃である。

まだ記憶に新しいと思うが、このバブル期には、ある元ベンチャー社長の著書の通り、「稼ぐが勝ち」的な雰囲気があった。

若手経営者の豪華パーティや、億単位の稼ぎをあげるデイトレーダー主婦など、今は懐かしい光景がそこにはあった。

一方で、経済的な側面から離れた世界は、当然ながら当時もバブル後の今も何ら変わらず、そこにあるままである。

篠山が偶然出会う、オンラインビジネスで時の人となった「三田村」や、急成長中の金融情報企業でキャスターを務める「ゆかり」は、

こうした経済的論理と経済以外の論理の板ばさみ(ダブルバインド)に、もがき苦しむこととなる。

元共同経営者に騙され、ビジネスの全てを奪われた三田村。嘘の情報を伝えて株価操作するよう迫られたゆかり。

篠山は、そんな彼らの姿を目の当たりにし、そして彼らが着地点を見つけていく姿を見届ける。

 

かつて証券マンとして鳴らした経験を持ち、今はしがない警備員である篠山にとって、彼らの姿は自身と重なったに違いない。

篠山自身、過去の経緯に今まで折り合いをつけず、敢えてのんべんだらりとした警備員生活でごまかしてきたのだが、

彼らが生気を取り戻していく姿は、篠山をして決着に向き合わせるには十分なきっかけを与えた。

決着とか折り合うとか言っても、それを境に物事が綺麗さっぱり解決するわけではないが、

「自分にとって勝ち・負けとは何か」という問いに対する(暫定的であっても)結論こそが、次のチャンスへの推進力となる。

他人の勝ち・負けの基準に寄りかかって、自分の水準の低さを思って無気力になる必要などない。

篠山がどこにたどり着くのかを楽しみに読み進めて欲しい。



この本についてひとこと