未承認国家と覇権なき世界

未承認国家と覇権なき世界 (NHKブックス No.1220)

ウクライナ情勢が示す未承認国家問題

2013年、ウクライナで市民が首都キエフで大規模な反政府デモを展開したのは記憶に新しい。ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ前大統領がEUとの関係強化に向けた連合協定の締結プロセスを凍結したことを発端としたこの騒動は、数万人の市民を動員し、3ヶ月にも及んだ上、クリミア半島を皮切りに、ウクライナ東部でも独立運動が沸き起こり、結果的にクリミアはロシアと統合、ドネツク、ルガンスクがノヴォロシア人民共和国連邦として独立を宣言する事態となった。

日本にいれば国という存在に悩む必要は極めて少ないが、こうした事態に遭遇するたびに国家とはそもそも何なのか、独立運動の背景には一体何があるのかを考えさせられる。本書は、タイトルの通り、まさにそうした問題意識にぴったりの1冊だ。コーカサス地域を専門とする国際政治学者の著者は、コソヴォ問題をひとつのターニングポイントに置きながら、世界中に存在する未承認国家について現地調査のようすを交えて解説していく。

かなり幅広い論点をかいつまむため、正直なところ読んでいて消化不良になるが、裏側にある国家の限界と政治的圧力の問題について、概括できる内容になっている。

 

現存する未承認国家(本書掲載)

未承認国家マップ_Wiki

Wikipedia「事実上独立した地域一覧」

 

未承認国家問題の根底にある主権国家の矛盾

未承認国家問題を理解する上で最も重要なことは、「国家とは何か」という問いだ。国際的に共有されてきた「モンテヴィデオ議定書」では、主権を持つ国家をこう定義している。

①明確な領域。一定に区画されている領土、領水、領空を共有していること。
②恒久的住民の存在。国民、人民が、その領内に高級的に属していること。
③政府ないし、主権の存在。国内の自治を実効性あるものとする、正当な物理的実力。
④外交能力と国家承認。上記3点を認めさせられる対外的能力。

しかし、ここには大きな矛盾が存在する。①領土保全②民族自決だ。歴史を振り返ると、第2次世界大戦までは①帝国主義的な領土原則が一般的だった一方で、植民地での民族独立の気運が高まるとともに、第1次世界大戦の講和原則として提唱された米大統領ウィルソンの「十四か条の平和原則」がベースとなり、1960年の国連憲章の制定を経ていわゆる②国民国家としての国家“も”、近代以降の国家像となっていったわけだ。「国家」がこうした矛盾を抱えている限り、未承認国家問題は構造的に起き続ける。

 

コソヴォ問題が開いたパンドラの箱

では、構造的に噴出し続ける未承認国家問題に、国際政治はどのように対応してきたか。著者は、コソヴォ自治州のセルビアからの独立が、未承認国家の独立が叶った理想ケースであると同時に、未承認国家が国家政争の渦に巻き込まれる原因を作ったケースでもあると指摘する。

コソヴォ独立運動は、セルビア人の民族主義に反発するアルバニア人が蜂起したところから始まった。その後、独立運動はコソヴォ解放軍(KLA)に変わっていったため、欧米諸国は当初、KLAをテロ組織と見なしたが、ロシア側と親交の強いセルビア側が勢力を強め、コソヴォを攻略するのを見るにつけ、国連の承認のないまま、NATO軍がKLAを公式に認め、セルビアを空爆する事態に発展した。

欧米諸国がとったこの対応は、ソ連・ユーゴスラヴィアの解体の際に自ら定めた、国境線の不変更などを定めた全欧安保協力会議(CSCE)による「ヘルシンキ宣言」と完全に矛盾する。しかし、欧米諸国はコソヴォの事例はあくまで「例外」だという姿勢を崩さなかった。ほかの未承認国家は承認に至らなかったことを見ても、まぎれもなく「ダブル・スタンダード」である。前述したウクライナ問題を、この「ダブル・スタンダード」から見ると、全く別の深刻な問題が見えてくる。

すなわち、ロシアのクリミア編入は欧米のコソヴォ承認とあくまで同じであるというロジックで、「未承認国家」を創出することで国際政治を有利に展開させるという新たな国際戦略のオプションが現実のものになったということだ。

 

未承認国家の国民が抱えるもの

このように、未承認国家の問題は構造的に避けられないだけでなく、大国のパワーバランスに翻弄されることが避けられない難しい問題になっていることは事実だ。しかし、著者はここで、国際政治から見た未承認国家ではなく、未承認国家の内部に視点を移す。

未承認国家の存続については、かつては外部からの支援を中心とした国際的なポジションが重視される傾向が強かったが、最近ではその「国内」情勢が閉める重要性が注目を浴びている。つまり国際的な支援を得るためにも、国内での支持を得るためにも、民主化・自由化を中心とした「国家建設」が必須となっているのである。

いうまでもないが、ウクライナ問題にしても、クリミアの国民にとっては「EUかロシアか」も大事だが、暴力や腐敗にまみれた体制を脱し、民主的で経済的にも豊かな国になることの方が本義だ。本書では、セルビア・モンテネグロのケースをベンチマークに、「共同国家」というあり方にひとつの解決可能性を模索しており、新しい国家のあり方を示す面白い事例分析になっていると思う。ただ、セルビア・モンテネグロも短命に終わっており、現実的には、僕ら個々人が“国家の限界”を知った上で、改めて自国と向き合うことが足元で求められると思う。



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