禅と日本文化

禅と日本文化 (岩波新書) Zen and Japanese Culture (Bollingen Series)

難解な禅を理解する手引き

「禅とは何か。」この問いに答えるのはなかなか難しい。というのも、禅という思想は「不立文字」といって、そもそも言葉を超えているからだ。そこで本書は、日本文化を代表する美術、武士、剣道、儒教、茶道、俳句の6つの側面から、禅と日本文化の関わりを読み解き、そのプロセスを通して「禅とは何か」をこれ以上ないほど平易に明らかにしていく。

著者は、禅の大家である鈴木大拙。本書はもともと海外向けに英文で記されたものだ(原書『Zen and Japanese Culture』は欧米でベストセラーになっている)。日本人にとっても難解な禅の本質がコンパクトに伝わるよう、相当腐心されており、結果的に外国人だけでなく、日本人にも最適な禅の入門書になっている。

 

言葉を超えたものを目指す

そもそも、禅が「不立文字」を旨とするのはなぜだろうか。禅が禅にしかない思想を打ち立てることができたのは、ここにカギが隠されている。著者は、禅と日本文化の関係に入る前に、基礎知識としてこの点を解説していく。僕たちは、知識を蓄えることで、物事を明らかにし、進歩につながると考えているが、禅は、知性に無条件に屈服することこそ、無明と業を生ずる仕業だと抗う。

知的作用は論理と言葉となって現れるから、禅は自から論理を蔑視する。自分そのものを表現しなければならぬ場合には、無言の状態にいる。知識の価値は事物の真髄が把握せられた後に、初めてこれを知ることができる。これは、禅がわれわれの超越的智慧(般若)を目ざます場合に、認識の普通のコースを逆にした特別な方法で、われわれの精神をきたえるという意味である。

禅はこの逆転の発想で、いわゆる論理の哲学にない境地に近づこうとしたわけだ。「色即是空、空即是色」という言葉が象徴的だが、「我なくして世界はあらず、我なくしても世界はあり」という2つの真理を同時に識るという0・1の論理では表せない独特の世界観は、スティーブ・ジョブズをはじめ、世界中の思想家に影響を与えた。

 

日本人の文化に根づく禅

現代生活では分かりづらくなったが、こうした禅の思想は日本人の文化の根底をなしている。著者は、美術、武士、剣道、儒教、茶道、俳句の6つについて分析を加えているが、あなたの身の回りでも、どこかに禅の息遣いを感じるだろうか。日本文化に根づく禅を象徴するキーワードは様々考えられるが、ここでは、「禅の世俗化」、「非論理・非形式」、「死の自覚」の3つのキーワードから著者の分析を簡単に紹介したい。

 

禅の世俗化

個人的に最も重要だと感じたのが、「禅の世俗化」という発想だ。禅は、密教と同様に、現世における即身成仏という発想を根本に置く。即身成仏というと、世俗とは相容れない、むしろ危険思想にもなり得るように思える。しかし、「空即是色」、「我なくして世界はあらず」であり、現世における実践に重きを置いているという意味で言えば、あくまで禅は世俗の中にあることを本質としている。

著者は、禅の歴史を紐解き、禅が世俗とどう寄り添ってきたかを描いている。例えば、茶道に込められた思想に対する著者の指摘が印象的だ。

宗教は時とすればこの世俗の無味単調から遁れる道と定義することもできよう。(中略)実際上からいえば、宗教も暫時息をついて恢復できるようなところへの逃避である。禅は精神的鍛錬としてはこの事もするが、いわば超越的すぎて、普通の心ではいたれぬところがあるから、禅を修めた茶人たちは茶の湯の形でその了解したところを実行する途を工夫したのである。おそらくはここに彼らの美的思慕が現れることも大きかったのであろう。

 

非論理・非形式

日本の「わび」・「さび」の根底にも、禅の発想が潜んでいる。不均衡な形をした盆栽、あまりにも余白が残された掛け軸、不協和音としか思えない雅楽。外国人が見れば、単にわびしく、満たされず、不完全なものに見えるところが、日本人が見ると、ある心の作用を引き起こすのはなぜだろうか。著者は、そこに禅の精神主義=形式無視という発想があることを指摘する。

普通なら一本の線、一つの塊、平衡翼を予期するところにそれがない、しかもこの事実が予期せざる快感を心中に喚びおこすのである。それらはあきらかに短所や欠陥であるにもかかわらず、そうは感じられない。事実、この不完全そのものが完全の形になる。いうまでもなく、美とはかならずしも形の完全を指していうのではない。この不完全どころか醜というべき形のなかに、美を体現することが日本の芸術家の得意の妙技の一つである。

 

死の自覚

禅は、「色即是空」、「我なくしても世界はあり」でもあるから、生と死を連続的に発想する。禅のいうところの死は、「無」ではなく、あくまで生であり死である「空」の中に存するものであることに留意は必要だが、いずれにしても死と向き合うことが修養のひとつになる。この死の身近さが、日本文化に影響したことは間違いないだろう。

死の念は、一方においては、人の考をこの固定した生命の有限を超えさせ、他方においては、日常生活を真面目に考えさせるように引締める。それゆえ、真面目な武士が死を克服せんとする考をもって、禅に近づくのは当然である。禅がこの問題を、学問や道徳的修養や儀礼に訴えることなく取扱うことを主張するのは、比較的に思弁を事とせぬ武士の心には、大きな魅力であったに違いない。武士の心構えと禅の直接的・実践的教養との間には一種の論理的な関係があった。



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